ニュース

2023/07/11

オープンキャンパスにおける研究室公開の情報を掲載しました。

2022/07/11

被験者募集情報を掲載しました。

2023/05/22

コラムを更新しました。

2022/08/25

コラムを更新しました。

2022/05/30

メンバーとコラムと業績を更新しました。

2021/10/14

常設の「卒研配属・進学希望者へ」のページを作成しました。

2021/05/10

研究内容と業績を更新しました。

2021/05/06

東郷研のHPを立ち上げました[link]。東郷研の研究に興味がある人はこちらを参照ください。

 電気通信大学オープンキャンパス2023 研究室公開について(横井・姜研究室)

電気通信大学でオープンキャンパスが開催されます.

横井・姜研究室は下記の通り研究室公開を行いますので,興味のある方は是非お越しになってください.

開催日時:2023年07月16日(日) 11:00~17:00

 場所 :電気通信大学 東9号館203室 [電通大アクセスマップ]

電気通信大学オープンキャンパスHP

 卒研配属について

常設のページを作成しました.[Link]

 被験者募集

 本研究室では研究成果の社会還元としてNPO法人や学内ベンチャーを通じて義手等を販売しています. 義手等を患者様のもとへ届けるためには厚生労働省「義肢装具等完成用部品」への指定申請が必要であり, その申請には実際の患者様でのフィールドテストが必要であることから,今回はその被験者の募集になります. 販売前の最先端の義手を体験してみませんか?

募集内容:小児用義手(筋電・受動),成人用筋電義手のフィールドテスト被験者

 筋電義手:腕の筋肉の動きでハンドを動かすことができる義手

 受動義手:外力で物に合わせて変形し,縄跳びなどを行えるようにする義手

応募期間:~11月30日
     ※個人に合わせたソケット製作に時間を要するため早めに応募ください

 対象 :前腕もしくは手掌欠損・形成不全の方

 人数 :若干名(多数応募があった場合,締め切らせていただく可能性がありますのでご了承ください)

連絡先 : yk-sec hi.mce.uec.ac.jp 042-443-5403

 コンテンツ

 研究について

研究全体マップ

横井・姜・東郷研で行っている研究をウィトロウィウス的人体図上にマッピングしました。各研究の詳細ページへ飛ぶこともできます。共同研究機関、共同研究企業、関連研究費を見ることもできます。

筋電義手

上肢切断者のための電動筋電義手を研究開発しています。また、電動筋電義手に必要な各要素、すなわちハンド機構、制御、人工知能、筋電センサ、装飾手袋の開発も行っています。

FES

麻痺肢の機能再建のための機能的電気刺激(FES)法を研究開発しています。痛みや不快感の少ない刺激波形の探索や、多チャンネルの刺激を用いた効果的なリハビリ法の研究開発を行っています。

BMI

ブレイン・マシン・インターフェイス(BMI)のためのロボットアームの設計開発および制御法の研究を行っています。軽量・多自由度・高出力のロボットアームを脳波で制御する方法を研究開発しています。

歩行支援機

高齢者の自立歩行を支援する歩行機を研究開発しています。効果的に歩行を支援するロボット制御法や歩様計測などを行っています。

シナジー解析

ヒト身体の多指、多関節、多筋の協調制御メカニズムをシナジーの観点から研究しています.ヒトの運動計測および解析を通じてヒトの身体に含まれる冗長性問題にアプローチしています。

 横井教授のコラム

  • <NEW> 時間と悟り

      はじめに

      Wikipediaによれば,「還暦とは,干支 ( 十干十二支 )が一巡し誕生年の干支に還ること」らしく,人間としての活動が一巡し,ゼロに戻ることを意味するようです.

      私は,今年60歳になるのですが,60年間も生きてきたことに驚きを覚えるとともに,その時間の長さと短さを実感しているところにいます.

      今回のコラムでは,時間と悟りをテーマにして,私の人生観のようなものを書いてみたいと思います.

      1.背景

      時間は常に前に進んでいくものであるようで,今は,直ちに過去となっていきます.

      時間とは不思議なもので,未来にある楽しみを待つ時間はとても長く感じるのですが,過ぎてしまえば,その記憶は急速に遠ざかって行ってしまいます.

      人間とは自分勝手なもので,時間すら,自分の感情で長くしたり短くしたりするようです.

      ホモサピエンスは,「賢い人」という意味だそうですが,「欲張りな人」という意味もあるとのこと.

      人間は自分の都合の良いように環境までも作り変えてしまう生き物で,地球が誕生してか45億年も経つらしいのですが,地球をこれほど汚した生物は史上初の存在だそうです.

      なんとも恥ずかしい話なのですが,その一員であることにリアリティがありすぎて,失笑を禁じ得ません.

      近年の世界情勢を見るに,人のエゴが国家レベルでぶつかり合い,核戦争目前の状況に陥っています.

      自分を守るために,強大な武力を所持しようとすることが,結局のところ,自分を傷つける方向に向くことに気が付かない.

      いわゆる合成の誤謬(ごびゅう)に陥っているのですね.

      合成の誤謬とは,局所的に良いと思われていることを重ねていくと,大局的には悪いことになるという意味です.

      以前のコラムでも書きましたが,みんなが同じような方向を向いてしまうことは,社会としては危険な状況なのです.

      向く方向に関係なくです.

      何事も中庸が肝心なのでしょうね.

      特に日本という国は,島国の中に閉じ込められて,同調意識の強い国民性であるため,極端な方に振れやすい傾向にあることに注意すべきだと思います.

      つい最近までは,新型コロナの影響で,社会生活が阻害されて,ずいぶんと生活が制限されました.

      人間の社会活動が作り出してきた様々なシステムが自分たちを縛り付けていることを実感する数年間となりました.

      社会的な強制力が個々人の生活に入り込んでくる世の中というのは,なんとも怖い世の中ですね.

      マスク警察,ブログの炎上,外出禁止令,新型コロナで命を失うか,社会的に抹殺されるか,どちらも苦しいですけど,まだ,未必の故意の中で人為的に消されるより,自然選択の摂理の中で消える方が良いように思います.

      とはいえ,新型コロナの前,2015年前後のことですが,日本では,既に社会的な寛容さが失われ,他者からの迷惑を極端に嫌う社会になってしまっていました.

      人間の存在自体が迷惑なのに,自分の存在を反省する前に,他者の行動を制限しようとする.人間とは何とも独善的な生き物ですね.

      このままわがままを押し通して,核戦争に突入して人類が滅亡したとしても,地球の歴史には大した影響はありませんので,一旦掃除することも必要なのかもしれません.

      以降,2章 希望,3章 人の性,4章 悟り,5章 まとめとして記述します.

      2.希望

      芥川龍之介の代表的な作品に「蜘蛛の糸」という小説があります.

      その中に犍陀多という登場人物が出てきますが,この人物は,まさに人間の焦燥感を凝縮したような存在として描かれています.

      「自分だけは助かりたい」,お釈迦様の温情で降りてきた蜘蛛の糸,この細い一本の筋に,犍陀多が天上界に這い上がる唯一の望みが残されています.

      結果的には,残念な結末となるのですが,この文章の面白さは,読む人の考え方によって,その残念さに大きな差異が生まれるところにあります.

      まず,天上界に上がれなかったことを残念と思うか,ラッキーと思うかによって,人生観が全く異なります.

      通常は,地獄では苦しい思いをするので,それよりは,安穏と暮らせる天上界の方が良いと思うのが普通なのでしょうが,それとは異なり,天上界なんて,いけ好かない輩の集まりなので,そんなところで暮らすことは,地獄の責め苦に合うよりもっと苦しいとと思う向きもあるかもしれません.

      ちなみに,社会生活でも安穏と暮らせることは,退屈で面白くない生活であることが往々にしてあります.

      何もかもが整った令和の世の中になってみて,昭和の泥水の中で街を作り上げてきた時代を懐かしむことは,多少似通ったものがあります.

      ノスタルジーとは,不安定な世の中では存在しない趣味ですから.

      どちらの選択でもよいのですが,何れにしても,問題はその程度であり,どれほど強くどちらかにしたいと思うかどうかにあります.

      この欲求を強く持てば持つほど,希望がかなえられなかった時の失望は,大きなものとなり,人の精神を大きく傷つけます.

      犍陀多の哀れな姿は,その程度が強すぎるところにあらわされています.

      「求めれば焦り,手放せば安らぐ」の道理の通り,実際のところは,どちらの結果になったとしても,それを楽しめばよいと思います.

      自然に起こることとして受け止めればよいのではないでしょうか.

      希望とは,稀な望みと書きます.

      実は,もしかして,望みは希にしておくべきという教訓なのかもしれません.

      3.人の性

      「人間50年,下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり,一度生を享け,滅せぬもののあるべきか」,そうとでも考えないと,49歳で生涯を閉じることが口惜しかったのでしょうね.

      「露と落ち露と消えにし我が身かな浪速のことも夢のまた夢」,夢として言い切られるには,あまりにも多くの人の命を奪ってきたと思うのですが.あまりの無責任さに呆れてしまいます.

      「浜の真砂は尽きるとも世に盗人の種は尽きまじ」,政権を握った側と盗人として断罪された側,一体どちらが悪人であったのか.勝てば官軍負ければ賊軍,人として生きている限り,誰かから奪って生きていくという性から逃れられないことを端的に言い表している言葉のように思います.

       これらは,有名人の辞世の句であったり,好んだ歌詞です.

      人というのは天下を取るところまで上り詰めても,まだ,欲望に支配されているのだというのがよく表れています.

      過ぎてしまえば,あっという間で,あれほど望んだことであったとしても,瞬時に消えていきます.

      そんな繰り返しが人の生きざまであり,数万年にわたって同じことを繰り返してきているようです.

      我々のやっていることは,大局的にみると,三葉虫やアンモナイトと大して変わりがなく,敵に襲われれば逃げ,餌を見つければ襲う.

      防御能力が少なければ,より強力な外皮や棘を成長させ,子孫は素早い遊泳能力を獲得する....競争的進化といいましょうか,常に変化を続けています.

      クラゲに捕まった魚は,必死に逃げようとします.

      おそらく,クラゲの刺胞に刺されると痛いでしょうし,食われる瞬間は恐怖だったでしょうね.

      茅ケ崎の海岸で海遊びをやった経験のある人は,カツオノエボシの洗礼に見舞われたことがあるかもしれません.

       果たして,クラゲは魚に迷惑をかけているのでしょうか?

      クラゲはウミガメに食べられるかもしれませんし,魚はエビを食べてきているかもしれません.

      この様な関係は食物連鎖と呼ばれます.

      私はツナやイワシの缶詰が好物です.

       われわれ人間も食物連鎖の一員です.

      それを理解すれば,食う食われるは自然の摂理であり,ありふれた日常であることに気が付きます.

      4.悟り

      「100年もたてば,すべては灰燼に帰す」ごとく,自分のことを知っている人も歴史も大方のものはすべて消えていきます.

      建物などは希に「江戸建物園」に残されていますが,生き物に関してはその限りではなく,化石として残ったとしても,実はケイ素等に置き換わってしまっており,炭素等は周囲のノジュールに分散し散逸して原形をとどめていません.

      およそ生きていくということは,個々人の欲求に裏打ちされた生命活動の一つであり,喜怒哀楽が行動選択の原動力となっています.

      他者の存在は,個々人にとって,さほど重要ではなく,知らない誰かがどうなったとしても別にどうも思わないのでしょうけど,一つだけ存在する事実としては,生を得るということは,非常に多くの選択の中で勝ち残ってきた種が,形として社会に出現したという厳然とした事実であり,すべての生き物の存在自体がとても希な存在であることであります.

      今生きていることが重要なのです.

       せっかく生きて感じる機会を得ることができたのであるから,できる限り楽しんでみようと考えることもよいのではないでしょうか.

      その時に大事なこととしては,中庸であること,過度に期待しないことなどでしょうね.

      なぜ中庸であることが必要かというと,仏教の教えに,「色即是空,空即是色」という言葉があり,そこに一つの解が書かれています.

      この意味は,「そこにあると思えばなくて,ないと思えばある」ということのようです.とても深い哲学的な言葉ですが,自分自身の経験の中にも,まるで雲をつかむような現象,すなわち,求めれば失い,必要のない時には表れるというような体験をしたことがあります.とはいえ,私もよくわかっているわけではありません.

       そこにある自然の有り様を眺めながら楽しんでいく,その中に生命活動や自然の営みがあるように,様々な変化を認識し,ちょっとだけ感情移入してみると,それなりに楽しく見えるようになるかもしれません.

      5.まとめ

      「山川草木悉皆成仏」,その人が仏を感じれば,世の中のすべてのものに仏が存在するという意味らしいのですが,認識の主体が観測者にあるところが面白い言葉の一つです.

      研究活動はまるで生き物のように感じます.

      「山川草木ロボット悉皆成仏」と書き換えてもよいかと思います.

      我々は,学問の世界に身を置いており,技術や知識を生活の糧としています.

      「少年老い易く学成り難し」,日々変化していく社会情勢,技術動向,絶えず進歩する進化的競争の中で,まるで雲をつかむような新しい知識を見出しながら生存していく.

      玉手箱を開けた記憶はないのに,ふと気が付いたら少年ではなく白髪の老人と呼ばれる存在になっているにもかかわらず,ほとんど何も獲得できていないことに気が付きます.

      30有余年に及ぶ研究活動は,ほぼ一瞬で過ぎ去ったような錯覚を感じます.人間とは,なんとも,しんどい生き物ですね.

      この精神的にすり減る活動の中で,一瞬のひらめきを求めて,その瞬間を楽しみに生きているという意味では,私も犍陀多の一人です.

      最後に,東京という地域は,互いに迷惑をかけないことを旨とする都市構造であり,その結果,静かな日常が担保される代わりに冷たい隣人関係となり,寂しい生活となっています.

      これに対して,大阪は,迷惑をかけることはお互い様というメンタリティであるため,かなりコミュニケーションが密で熱く,楽しい半面,うっとうしいというようなことを見聞きします.

      どちらがいいというものでもありませんが,私的には,少なくとも人間という迷惑な存在を是認して,楽しく生きていこうとする大阪的観点の方が,今の日本に必要とされているのではないかと思います.

      うちの研究室では,わからないことがあれば,とにかく誰かに尋ねること,この点に関しては,隣人の迷惑を気にする必要はみじんもありません.

      もちろん,何事も中庸が肝心ではありますが.

  • 心の支え

       人心を掌握するためには,ヒトの最も弱いところを知ることが手っ取り早い.

       想像してみてほしい,家族や兄弟,または,恋人や子供など,自分が最も守りたいと思う人たち,この守りたいと思うことそのものが,その人の弱み.

       この弱みをテコにして,人の心を支配し,動かそうとすることがマインドコントロールなどと呼ばれる.

       ちなみに,ヒトの弱みというのは,それだけではなく,様々なものが弱みとして存在する.例えば,私の場合には,「化石」.石にへばりついた黒や茶色の模様が,何にもまして愛おしいのである.この石の模様の保全のために,家の一角を標本棚で占拠し,その購入や加工のために大枚を払う.石の採集のためのガソリン代は,水より安く感じる.食料や家賃に払う金額より数段大きな金額である.ことこのことについては,冷静に考えることはできない.

       最近では,ディズニーのイーヨーの画像を集めることが趣味となり,ついにイーヨーが描かれたミニカーを購入してしまった.何の変哲もないミニカーにイーヨーの絵が付いているだけで,数倍の値段がするのであるが,それが高いと思わないところが不思議である.

       もちろん,有名画家の絵画や彫像などは,家が買えるほどの値段にもなるわけで,ミニカーの値段など,知れたものである.それにしても,油絵具で紙に模様を描いただけで,ゴッホやピカソという名前が付くだけで,価格が天文学的な値になるというわけであるから,ヒトの社会とは不思議なものである.たかが色付きの紙である.

       別の言い方をすると,ほとんどの人が,何かに捉われ苛まれて生きており,ある種の焦燥感や心の穴を何かで埋めたいという衝動に駆られるのであろう.その対価としての代金には,際限がない.占いや興味の対象,酒,娯楽の程度であれば,そこそこのレベルの価格に落ち着くのであるが,これが,芸術や癒しとなると,そのタガが外れる.他の動物では,こういう現象はみられない.カブトムシがエドヴァルド・ムンクの“叫び”をハート目線で見ていたら,衝撃的であるが,そういうことは起こらない.

       芸術のすごみは,心の奥底をえぐるような鈍重で強大な力や,痛みやしびれを感じるほどの張りつめた緊張感や振動など,たかが色付けされた模様なのに,ヒトの心に非常に強く作用する.これが冷静さを失わせたとしても,何の不思議もない.これは,ヒトの認知能力の高さの証拠の一つでもある.(とはいえ,私には芸術品の真贋はわからない.)

       一方,言葉は,より身近で,強い影響を持つもののひとつである.心を慰めることもできれば,傷つけることもできる.近年のネット社会では,文字の羅列が人々の行動を左右するようになってしまった.ついには,心を病む人まで出てきており,ネットという仮想社会の中で,ヒトの心の安寧を左右できる時代となった.これについては,ヒトの進化が技術の進歩に追いついていないことの傍証でもあり,一部の先進国と呼ばれる世界の病気の一つである.未熟な技術を人を用いた社会実験に適応したことにより,多数の被害者を生み出しているとも考えられる.ヒトの心をハッキングする方法は,言葉であり,核爆弾より威力がある.これは,ロシアの大統領に教えてやりたい.

       ヒトは肉食動物の頂点に位置し,強大な知能と科学技術を手に入れ,地球を支配するほどの権勢を誇っている.にもかかわらず,心はかなり弱い部分があり,ほぼ全員が何かに苛まれて生きている.

       すなわち,心の痛みや嘆きを何らかの形で癒してほしいと思っているわけで,ヒトの最大の弱点であり,その守備は「言葉」によって解くことができる.

       さて,その心の弱みをテコにして,財産や労働,そして,心までをかすめ取ろうとする行為は,数千年前から行われてきた.ほぼ,ヒトの歴史の一部といっても過言ではない.

       戦国武将の織田信長が延暦寺や長崎を攻めたのは,ヒトの心を支配されることがいかに恐ろしいことかを一番よく理解していたからである.信教によって人の心を支配されると,為政者は将軍ではなくなってしまうわけで,そりゃ,許せるものではないでしょう.もちろん,この御仁は「恐怖」でヒトの心を支配していたわけだから,もしかすると権力をかすめとられる危険性があることを理解できることは尤もなことである.

       数百年前までは,言葉や手紙でしか意図を伝達できなかったので,この程度で済んでいたわけであるが,現代では,そこに,映像や音声,それも,フェイクの混ざったもので脚色され,さらには,世界中の情報を“選択的に”取得できるようになってしまった.これは,操作する側からすると,素晴らしく強力なツールを得たことになる.おまけに,周りを複数の人間に囲まれて,とても壺や印鑑を買うことが心を癒すことや家族を救うことだと説得されれば,スターウォーズのダースベーダのように,「闇の力」に飲み込まれることがあるとしてもも何の不思議もない.

       時代は変わったのです.信じられないほどに,相手は巧妙になってきています.

       近年では,ヒトの心を癒すはずのものが,集金システムに化けている場合が数多くみられるようになってきました.心で感じる焦燥感を外部からコントロールされるということは,生理的欲求を支配されることと等価(トイレに行くのを我慢しなければならないことと同じ)であり,ほとんどの人には抗うことは不可能である.所有権の移譲は所有者の意図に基づいて行われるため,心を支配してしまえば,財産の移動は合法的に,しかも,税金を払うことなく行うことができるという,夢の集金システムが完成する.

       信教を操ることは,マインドコントロールを可能とすることであり,その危険性は国家をも揺るがしかねない.少なくともまず,我々の家計を破壊します.もちろん,このような危険が,我々の隣に迫ってきていると考えて間違いない.

       皆さん,十分に気をつけましょう.

  • 侵略は自然現象の一部ではあるのだが.

       軍事大国の隣国への侵略行為,残虐行為,略奪,焚書坑儒,これらの行為は,われわれが日常的に行っている食事の延長線上の行為である.手っ取り早く食料を確保するためには隣から取ってくることであり,残虐な印象を与えておけば,抵抗や仕返しされる可能性は減るので,自国の軍隊の消耗は減るし軍人の命は守られやすくなる.ある視点からすると人道的な行為である.とはいえ,もともとやっていることは後ろめたいことなので,その記録はすべて削除することが行われる.

       生命体は,生まれながらにして,隣り合う生命体のエネルギーと空間と時間を奪い取ることによって,自分自身の存在を維持することが宿命づけられている.隣り合う生命体が豚や牛でなく,ヒトや財産になったところで,何も不思議なことはない.人類の歴史を見ても,ほぼ,日常的に行われてきた行為である.

       食事のためには,植物と動物からその一部または全部を奪い取る必要があり,その資源を確保するために,過去は狩猟や野草を摘むなどの行為から始まり,現代では農業や畜産業などにより,栽培や家畜化などの効率的な命の収穫を行っている.

       農業の副産物として麦やコメのような保存可能な穀物により,価値の保存が可能となり,その効果は,分業化と専業化を可能とし,さらなる効率化を後押しした.後に,食べられないけど価値のあるものとしての「金」なるものが発明され,最近では,それが「数字」になってきている.

       保存可能な価値は,毎日狩猟に出かける必要がなくなるため,怪我をしたり,子育てをしたりしなければならないときの保険的な食糧を提供してくれる.これは,一見,とてもありがたいことのように見えるが,この保存可能な価値は,同時にヒトの社会性動物としての権力構造(ピラミッド)の形成の原動力となっているため,上司の理不尽な要求や地主の立ち退き要求に従わなければならない強制力を生じる原因となっている.要するに両刃の剣なのである.

       食料と土地と時間を守るために,軍隊が必要であるか?.野生動物の侵入を防ぐために高圧電線を張り巡らしたり,カラスやサルを追い回したりすることと,機関銃やミサイルを使うことにどれほどの違いがあるのか?.当然のことながら,自分の土地という認識は,人それぞれなので,考え方によっては,隣地と呼ばれるところも自分の土地と信じて疑わない御仁も出てくる.ということは,国という単位で考えたときに,権益を守るという目的において,その目的を達成する選択肢の中には,隣国を侵略することも含まれる.

       合成の誤謬という言葉があるが,みんなが良かれと思ってやっていることが,結果的に全体としてみたら,みんなに害悪をもたらしているというものである.われわれ人間が行っている「よいこと」というのは,往々にしてこういったものである.その理由としては,人は皆,それぞれの生い立ちと体格,財産,能力,趣味趣向,政治信条,さまざまな思考を持っており,極論をすれば,DNAそのものが皆異なるので,皆にとって良いことなど存在しないのである.それをあたかも,「皆にとってよいこと」と信じさせる行為は,何か作為的なものがあるか,それとも,皆で気が付かずに,がけっぷちに向かって走り出しているかのどちらかである.正に,前提が間違っているにもかかわらず,皆で協力して,何か始めてしまうと,その規模が大きければ大きいほど,核戦争クラスの被害を全世界が被るような状況に陥ってしまう.

       カタストロフィー(悲劇的結末,破局),とは,株の暴落とか世界大恐慌などで,良く語られる言葉であるが,これも皆が上がると思うから株を買うという行為が経済を活性化し,多くの人の給料が上がる.しかしながら,実勢価値からの乖離を大きくする原動力になり,ふと気が付くと崖の上に追い詰められており,その後は,皆が急いで売ろうとするから,皆で崖を転がり落ちるという状況を生じる.そして,まあ,もともとは何もなかったんだから,またゼロから頑張ろうなどと,お互いを励ましあう.というのが世の中の姿なのであるが,経済的に大きく破壊された社会で,一番割を食うのは,株や経済とは全く関係のない一般庶民なのである.結果的に崩壊した経済基盤を立て直すために,高い税金と質の低い商品を高い値段で買い支えることとなる.

       この構造は,政治と軍隊や兵隊にも同じような構造がみられる.政治や民衆は国土の拡大や権益の増大を歓迎し,侵略を称賛するが,結果的に痛い目を見るのは,末端の兵隊で,それは,民衆の家族のだれかなのである.

       近年流行りのSDGsや持続可能な社会構造は,上記と同様の危険性をはらんでいる.そのような社会構造を守ろうとするプロパガンダは,一見,美しく見えるし良いことのように聞こえるが,世の中には,合成の誤謬という言葉があることを忘れてはいけない.「抗い難い綺麗事」,誰が一番得をするのか,現在の社会構造が維持されれば,富める者は富めるまま,貧しきものはそれなりに,これを推奨しようといっているようなものである.

       恵まれないものにとって,特に,若さ以外何も持たない若い人たちにとって,チャンスは,変革期に来るものである.平穏が持続してしまっている状況においては,その社会構造の中に組み込もうとする圧力が大きすぎるため,なかなか大きなチャンスを捕まえることは難しい.自分自身から変化を望み,多くの人の違いを肯定しながら,多様性の社会に飛び込んでこそ,何かを得られる.

       現代の人間のレベルというものをどのように考えればよいかは,なかなか難しいところではあるが,軍事大国が軍事力でヒトを支配し,ヒトを家畜化し,搾取を重ねる構造を持つ一方で,経済大国は金の力でヒトを支配し,ヒトを奴隷化し,搾取しているわけで,やっていることは大して変わりがない.地球上全体を見渡してみると,各国各地で様々な文化や風習があるにもかかわらず,それを互いに認め合おうとはせず,小競り合いを行っている状況は各所に見られる.軍事的対立,経済的対立,人種偏見や差別・迫害など,どの国や地域もその正当性を声高に主張しているが・・・

       総じてやっていることは,古細菌や大腸菌同士の食い合いのレベルを超越することは難しいのかもしれない.

       プロパガンダは共産圏だけではない.いかなる国も,国という単位で中央集権化している以上,民衆の多数決的幸福感の最大化の方向で動いているわけなので,反対意見を持った人たちをも強制的に従わせるような行為は必ず存在する.もちろん,我が国のように,とんでもなく残虐な犯罪行為に対して,あまりにも寛大な措置で済ますような国もあるわけなので,必ずしも中央集権化の強制力が強い国ばかりとも言い難いところではある.

       このような時代に,個人としてどのように対応すべきかが難しいところである.ヒトとして進歩した生き方がしたいものである.

  • 戦争犯罪と認識

      ロシアのウクライナ侵攻のニュースは,皆さんも心を痛めていることと想像します.

       まず,はじめに,ウクライナにおいて,命,尊厳,財産を奪われた方たちに対して,哀悼の意を表すとともに,国土を守るために戦っている方たちに対して,最大の敬意を表します.

       以下,この今世紀最大の犯罪行為に対して,最大の憤りと悲しみを感じるため,この現象をどのように受け止めればよいのかについて,私の意見を表明します.

       私たちは,牛豚鳥など,支配下に置く動物を日々食しています.日常的に歩いているときに,地面を歩いている蟻に気を配ることはありません.食物連鎖の頂点に立つ人間様が,ほかの動物の存在権や生命を奪う行為に対して,人間界では肯定される傾向にあります.

       現在の人間社会においても,政治・経済・軍事・知識など,様々な観点で優位に立つものが他のグループから搾取することについては,正当な競争と公平な勝負の判定というプロセスを通して,その行為が肯定される傾向にあり,その一つの形態が経済活動であり,政治であり,我々の社会の基盤的な考え方となっています.判定が公正であれば,それなりに納得して生活している現代ではありますが,少し立ち止まって考えてみると,勝者は総取り,敗者はゼロまたはマイナス,これにより,貧富の差を広げつづけていることに,大きなる疑問を感じます.まあ,社会保障という雀の涙程度の給付により,敗者を支援する取り組みはなされていますので,まったくゼロではないという言い訳も一応存在はしているようです.

       さて,今回のウクライナの問題は,第二次世界大戦の敗戦国である我が国にとっては,とても身近な問題であり,昨日のわが身であり,明日のわが身であります.領土拡大を狙うという意味では,80年前には日本がアジア侵攻を行い,今後はロシアから北海道を侵攻されるかもしれない状況にいます.

       ある国が軍隊によってほかの国に侵攻するということが,いかに大きな悲劇を生じさせるのかについては,大いなる反省を持って受け止める必要がありますし,その危険性に対して,十分な準備を行う必要が存在します.

       今回,日本の相手となる国は,核兵器を所有する国であるため,局地戦で勝利したとしても,大局的には,比較にならないほどの大きな被害を被ることが予想されます.それに,ロシアという無法者の国を相手にする場合,その戦闘においては,想像を絶するほどの残虐な状況となることでしょう.アメリカと戦った第二次世界大戦と,ロシアと戦うこととなる今後とが,なぜ,どのように異なるのか? 皆さんには,ぜひ考えてもらいたいと思います.

       ちなみに,西欧諸国は,資本主義の国が多く,経済競争による勝敗が権益の代償を左右します.軍事衝突であっても,最後は金と土地で片が付きます.経済活動によって得た利益は,個人の財産であることが国または法律によって保障されています.また,金持ち喧嘩せずの格言にもあるように,力の勝負に勝つことよりも,資本の増加を優先します.すなわち,金以上のものを奪うことは目的とされにくいという意味で,それなりの歯止めがかかっていると考えられます.

       しかしながら,一方,ロシアは,社会主義の国です.非常に興味深いことに,社会主義の国では,国土,人民,経済的利益などは,国の共有財産という認識に立っています.本来は,公平性の担保された幸福実現国家体制であるはずの社会主義ではありますが,その内実は,まったく正反対であることを歴史が証明しています.共有財産という考え方は,一見,市民全員の権利のように見えますが,実は,独裁者が利益を総取りしているに過ぎないため,形を変えた封建主義となっているということです.権益の再配分において,上に立つものが下の者の数倍の利益を確保する方式であるため,権益の推移は配分回数のかけ算となるため,権益が上から指数関数的な輪切りの状態で薄くなってきており,底辺に行くほど急速に薄くなる構造であるため,底辺の人たちは,ほとんど何も持つことがでないことが分かります.配分1回に半分になる程度だとしても,10回も配分されたら,千分の1にまで減ってしまうわけです.すなわち,下位の者が利益を得ようと思ったら,戦争などによって,他国から奪い取ってくる以外に,個人の財産を増やす方法は存在しないわけであり,戦争=奪い取れるチャンスとなるです.モノだけのことだとすれば,百歩譲って,まだ,我慢できるのですが,人の尊厳や命までも奪い,同時に虐待にまで及ぶ.要するに,そこまで人間が貧しくなってしまっているのがロシアという国ということなのでしょうね.

       ウクライナの悲惨な状況を見せつけられて,我々が考えるべきことは,2つあるかと思います.

      1.どうやって,独裁者から家族を守るか.

      2.独裁者を退けられない場合に,どのようにして納得するか.

       今回は,独裁者がウラジミール・プーチンという名前の付いた対象であるために,抗議の対象が存在し,抗うべき力は軍事力ですので,1を考えることができますが,独裁者が自然現象で,抗うべき力が津波やら地震のようなものであれば,2を考えざるを得ないこととなります.

       そして,1の場合であっても,その軍事力等があまりにも大きい場合については,この独裁者だけが人間という地位を占めることなり,我々は家畜という位置づけとなりますので,2を考えざるを得ません.相手が核兵器の保有国である場合には,これに近い状況となるために,そのような理不尽な仕打ちに対して,どのようにして納得したらよいのかを考えておく必要があります.

       厳しい話ではありますが,生きていることと生きていくことをどのように認識し,心と物質の準備を行うかが問われていることとなります.

       「山川草木悉皆成仏」という言葉を知っていますか?

       日本は,すべてのものに仏があるという文化を持つ国です.ヒトだけが神に選ばれた存在で,他の生き物に対して特別な権利を持つと考える国とは,価値観が大きく異なります.

       第二次世界大戦においては,遠い異国の地で若者の命がたくさん失われました.また,本土空襲により,多くの民間人が被害を受けました.世の中には避けられない災禍は存在しますが,いかに生きるかが大切です.いかなる状況に置かれようとも,命が失われる間際までは生きていられるわけなので,どのように状況を認識し,どのようなふるまいを行うかが,この世を楽しむことに繋がっています.厳し状況に対抗しなければならないときに,どのように腹をくくるかが問われています.皆さん方,若い世代が未来を楽しめることが私の望みです.

  • 新型コロナウィルスへの対応と研究室の適応戦略

      横井です.

       

       新型コロナウィルスの影響が深刻な状態となりましたので,緊急連絡「新型コロナウィルスへの対応と研究室の適応戦略」です.

       

       日本国内の感染数のヒストグラムを見ると,1月中旬以降の武漢の状況と酷似しています.また,ウィルスの活動が活発化してからすでに2か月以上が経過しているため,毒性の変化を警戒するレベルに到達していると考えられます.すなわち,生命の危険は高齢者のみならず,若年者に対しても憂慮すべき事態と考えられます.

       

       よって,この状況において,研究室での活動を行うことは,危険と判断しましたので,原則的には研究室への出入りを遠慮してもらうことといたしました.

       

       ただし,学位取得や研究活動において欠くべからざる理由がある場合には,その行動を妨げるものではありません.

       

       皆さんの健康と生命を守る行動を行ってください.

       

       以降は,私の認識を書いておきます.

       ウィルスに限らず,およそ生き物と呼ばれる存在のすべては,環境への適応を成功させることによって,集団としての生存と子孫への遺伝形質の継承を行います.自己複製のためのたんぱく質の製造能力を持たないウィルスは,この過程において,宿主を長く生存させることによって,できるだけ多くの場所と範囲で多くの餌の近くに子孫を拡散させることとなります.人類は長寿には成功しましたが,健康状態の維持が十分ではなかったために,ウィルスが蔓延しやすい環境を提供してしまったように考えられます.この時に,宿主が早く死亡してしまうと,子孫の拡散に失敗します.これが,感染初期には致死率が低くなる理由です.

       

       しかしながら,宿主が長く生存すればするほど,ウィルスに対して免疫機能を開発する時間的余裕を与えることとなるため,免疫機能を獲得した個体が増えていってしまい,餌となる領域を強い宿主が占有していくこととなります.

       よって,ウィルス的に考えると,適度なところで,宿主に退場していただき,免疫を持たない新しい感染対象に登場してもらうほうが望ましい状況となります.また,この段階になると,すでに十分な感染数と範囲に届いているために,新しい感染対象が必要となります.初期には高齢者などの免疫機能の弱った対象を選んでいたものが,そこには住処がなくなりますので,次には若年層への領域へ進出することとなります.

       

       免疫機能の強化速度は,年齢が若くなればなるほど早く,体力も強いいため,ウィルスはその状況に適応するために,より高速な変異を繰り返しながら,より毒性を強めていく必要が生じます.

       毒性の強いウィルスであっても,もちろん,感染を拡大させるために,宿主を長期に生き延びさせるほうが良いのですが,ウィルス程度の情報処理能力では,宿主の健康状態をうまくコントロールすることができず,急速に悪化させることにより,死に至らせてしまうという失敗に落ち込んでしまう様です.若者と戦うのは,それほどむつかしいということなのでしょう.

       基本的には,人とウィルスという生き物同士の自然環境への適応合戦なので,最終的に共存という状況が落としどころかと考えますが,今回の新型ウィルス騒動は,この生命間の競争というだけにとどまらない人間間の愚かな牽制合戦に発展しているところが危険であり滑稽な一面を持っています.

       

       ここからは,主題が変わります.

       本来ならば,環境適応力を上げることにより,ウィルスと共存しようというだけで終わるはずの出来事だったのですが,人間社会というのは,とても興味深いことに,国同士の罵り合いや人の差別や侮辱,果ては,経済活動の停止など,病気治療に必要な費用の何百倍もの損失を抱えることとなりました.今年度提案されている数百兆円もの経済支援は,現在の会社組織を生き延びさせるための支援という名目で支出される予定ですが,当然のことながら,これらは,将来への借金であり,まだ生まれてこない子供たちの税金という形で補われることとなります.

       

       次年度以降,増税か国家破綻かの選択を迫られることが来ないといいですけどね.ちなみに国家破綻を選択するとして,どうなるかというと,夕張で何が起こったかを見てみると,ちょっと想像がつくかと思います.

       それにしても,こういった恐怖にあおられて,人や国を差別したり侮辱したりするといった低レベルな行動が表面に出てくるのは,人間らしいというか,数百年前からほとんど進化しないというか,文明の美しさや奇麗さが,いかに表面的なものであるかがよくわかります.悲しいことではありますが,我々ば,そういった人間たちの中の一人でありますので,その中で適応していく必要があります.少しでもポジティブな世の中で,皆で支えあっていけるように働きかけを続けましょう.

       先日も申し上げましたが,いずれにしても,100年に一度の大イベントをまじかに見ていることになります.ただ恐れおののいて目を背けるのではなく,真正面から見つめ理解し,人間の集団というものが,どのように動くのか,そのダイナミクスに興味を持ってもらえるとよいと思います.

       

       今年度は,すべてのイベントが,100年に一度の驚きに満ちていくことでしょう.

       

       皆さん,環境の変動に適応して,楽しみましょう.

  • SDGsと長寿社会について

      横井です.

       2019年度から,共同サステナビリティ専攻が始まります.
      社会を持続させるための課題のことをサステナビリティテーマとかSDGsとか呼ばれますが,貧困や戦争などをどのように認識し解決するかが問われています.
      私の認識は,まだまだ浅い状況ではありますが,基本的な哲学をまとめてみました.

      ーーーーー以下ーーーーーー

      キーワード:知的生命体としての人間,SDGs社会構造の設計,人の尊厳,モチベーション,感謝と尊重,平和友和,社会保障,安全安心

       

       人生100年時代を迎えて,「人はどう生きるべきか」を考え直す時代に入ってきた.
      富士山の名前の由来が「不死」であるらしいが,古来より時の権力者は,国の内外を問わず不老不死の妙薬を求めて止まないなど,長寿は多くの人の希望の一つでもあった.
      はたして権力を持たない人々までが長寿を希望していたかどうかは定かではないが.
      社会生活を継続させることに対する願望の流れは,日本だけでなくグローバルに進行しており,SDGs(Sustainable Development Goals, 持続可能な開発目標)」が2016年1月1日に発行されるなど,世界全体の潮流となっている.
       100年の長寿は,医学の発展と産業の成功により持たさられた豊かさの象徴ではあるが,その一方で,社会保障などの国民負担の増大と孤立社会・孤独死の悲哀というネガティブな面も露呈してきており,必ずしも喜ばしい方向性ばかりではない.
      人が自分だけの幸せを考えて行動すると,不幸な人を救おうとするモチベーションが出てこない.
      また,人々がよく考えずに短絡的な多数決による合意を取ると,負担が増えて迷惑だと考える人が多くなれば,社会保障費は減額され,結果として,命の価値が低くなり,人の尊厳は軽くなる.
      そのようなシステムを作れば,現在の若い人が老いた時に,自分自身をその社会の中に身を置くこととなる.

       幸か不幸かに関わらず,どのように行動しようとも,貧困や戦争がなくならなくても,構造化された人の集団という意味での社会は継続されていくため,どのような精神状態で生活していようとも,生物学的な意味での人間という生き物がいなくなるわけではない.
      若い身体は生物学的な意味での生存能力が高いため,即物的な魅力を感じることは,無理もない.
      また,自分で稼いだ給与を,努力していない人に分け与えることに抵抗を感じることも自然なことである.
      社会保障費の寄付を自発的に行うような教育は,ややだまし討ちのような感がある.
      この延長線上に,老いを認めてこなかった若者が,やがて老いて自分自身を認められなくなるというは皮肉であるが,厳然とした負の連鎖が存在する.
      我々は,そういう社会で生きていきたいというモチベーションを持ち続けられるかどうかである.

       しかしながら,少なくとも独居老人といわれる高齢者の多くが,深い淋しさと不安の中で生活をしていること,および,若い世代が将来に希望を持てなくなっていることは,この社会を継続することにおける大きな問題であり,解決すべき課題である.
      また,あいまいではあるが,人間らしい生き方,文化的な生活といったふわっとした尊厳を継続しようとする考え方の重要性がクローズアップされてきており,これを持続性社会の課題,または,SDGsと呼ばれる.

       社会保障費の増大の一因として少子化の問題が取りざたされて久しいが,その解決は,実は簡単である.
      生物は,生存の危機を感じた時に多くの子孫を生むため,天変地異や戦争などによって,社会や人命が損傷を受けた時にこの問題は解消する.
      しかしながら,当然のことながら,多くの悲しみや苦しみを伴うために,この解決法は社会的な合意を得られにくいし,大腸菌と同じレベルの活動であり,知能的解決策とはとても言えるものではない.

       同様なレベルのものに,政治家の発言があり,「子供を産まないことが問題」などというものがあるが,これは,子供,すなわち,若年層が壮年層を支えなければならず,その担い手を多く生産する必要があるという固定観念に起因している.
      この考え方の誤りは,若年層を低賃金で奴隷化すれば,壮年層は楽して暮らせるというところにあり,基本的には労働の先送りになっていることにある.
      このように,生物学的な解決策や労働負担の押し付け合いなどでは,根本的な問題は解決しない.

       ここでの課題は,知的生命体としての人間が,これまでの科学技術やコミュニケーション能力を活用して,いかにして健康で,また,社会との関係を保ちながら長生きできる社会の構造を設計するかにある.

       ここに頭を使いましょう!

      今日は,短いですが,
      以上.

  • 正義と悪,最後まで身を守る方法

      皆さん

      横井です.
      カルト教団によるサリン攻撃の首謀者が死刑となりました.
      今日は,正義と悪について考えてほしくて,コラムを書きます.
      まず,私の個人的意見を表明しておきますが,今回の死刑執行については,賛成の立場です.
      その根拠はありません.ただの感情論です.

      さて,ここからが本題ですが,今回の死刑執行は正しかったのでしょうか?
      私には答えの出せていない疑問を提起します.

        

      前提:ステークホルダーを整理すると,カルト教団と東京都民に大きく分離します.これら二つの集団は,どちらも「日本国の国民」に属します.
         1.東京都民は,カルト教団の敵.
         2.カルト教団は,東京都民の敵
         3.カルト教団のサリン攻撃により,東京都民6千名以上が負傷.23年に渡り寝たきりや植物状態.
         4.カルト教団の首謀者は,日本国の裁判により死刑.

      というのが我々の認識ですが,
      ちょっと見方を変えてみると,実は,カルト教団のメンバーは,東京都民からはじき出された人たちが多く,既に危害を加えられていたと認識していた可能性があります.
      我々の認識からすると,「常識」を逸脱した行為を繰り返せば,はじき出されるのは当たり前であり,その行為は「正義」でした.また,東京都民のほとんどは,ある意味関係ない立場であり,被害をこうむった人たちのほとんどが,その行為を行った人ではありません.

      しかしながら,カルト教団の立場から見ると,東京都民の一部から危害を被った...という論理になるかと思います.
      その攻撃に対して,カルト教団のメンバーを守るという「正義」のために反撃した.その方法が,無差別に東京都民を死刑にした.
      というように見ることができます.

      どちらもが「正義」を掲げて戦った.すなわち,戦争の様相を呈したということかと考えられます.

      「集団vs集団の存続をかけた戦い」,というわけです.
      同じ日本人同士での戦いなので,奇異に感じますが,国と国の事例を思い起こすと,原爆を使った国や他国に侵略した国など,枚挙にいとまがありません.
      今回は,東京都民が裁判所や警察組織などの国家権力を味方に付けたので,上記のような帰結になりましたが,逆だとどうなっていたでしょう?
      メキシコで行われている麻薬戦争を見てみると,考えさせられてしまいます.
      また,ユダヤ王朝にとっては,キリストは,国家体制を否定するカルト教団の極悪人だったことを考えると,カルト教団の教祖が数百年の時を超えて信仰の対象に祭り上げられる時代が来る可能性を否定しきれません.

      この論理が破たんしていることを祈りながら,今日のコラムを終わりますが,
      皆さんへの提言としては,

      道を歩いていて,何らかの危害を加えられる可能性を常に考えて行動してください.
      危害を加えられた場合には,被害が最小限となるように,行動してください.
      (少なくとも,恐怖から目をそらさず,最後まで見ていれば,生き残る可能性があります.野球のバッティングと同じです)

      皆さんの意見を待っています.

  • グループワークと人間

      皆さん

      横井です.
      研究室に所属するということについて,皆さんに教えたいことを文字にします.

      「人ひとりの能力など,取るに足らないもの」です.

      グループとしての力,そして,その中でどれだけ成果を出せる個であるかが重要なのです.

      生物進化は,まず,個の力を高めました.
       鎧のような体,棘の生えた表皮,大きな牙,カッターナイフのような歯,強力な筋肉,長い手足,巨大な体・・・そして未来を予測できる頭脳.
       これらは,細胞が個としての存在を捨てて,グループを作って生存可能性を高め,さらには,機能分担することで利益率を高めた結果です.
       これを多細胞生物と呼びます.既に,この段階で,グループワークが始まっているのです.

      要するに,個の力ではかなわないから,群集化して,強い個に立ち向かったという図式です.
       換言すれば,個でしか力を発揮できないものは,グループに駆逐されるということです.
       人間も数百万年行ってきたから,ライオンやクマなどの獣の住処を奪ってきたのです.

      このスキームは,社会性生物でも引き継がれており,アリ,ハチ,人など,その例には枚挙の暇がありません.
       集落,国,会社,友達などなど,ですね.

      グループを作る能力のないものは,早晩その権利を失います.

      そして,強いグループは,適切な機能分担ができているグループです.
       如何に数が多くても,皆がその役割を認識できていなければ,グループとしての強さを発揮できません.
       これを日本語では,「烏合の衆」と呼びます.

      機能分担を行うためには,ルール・規則・モラルなるものが創発されてきました.
       これは,人間が作り出した集合知です.

      グループを創る力・維持する力・発展させる力,これをコミュニケーション力と呼びます.
       1.国籍・国際協調力(外国人の友達の数)
       2.性別・ジェンダーを超える力
       3.主義・信条を理解する力
      これらを超えて,人と人が協力できるグループは,非常に強いものとなります.
      また,そのグループは,グループのメンバーとなれる人を常に探しています.

      グループは,自ずと意志・意図を持ちます.
       集落,国,会社,友達,いかなるグループも全体の意志と意図を持ちます.
       これは,多細胞体である人間が,個々人の意思を持っていることと類似しています.

      大学の研究室とは,そういうグループの一つです.
       研究室は,その構成メンバーの意見の集合体として,動いています.
       そのグループを維持・発展させる力の根源は,信頼です.
       そのメンバーとなれるように,自己研鑽を行ってください.

      みなさんの積極的な参加を待っています.

  • 協力と信頼

      皆さん

      横井です.
      2017年も残すところ10日ほどとなりました.

      景気が戻り,久しぶりの売り手市場が訪れました.
      就職試験がフィルターの役目を失いますので,本当に学生個々人の企業を見る目が試される時が来ました.
      35歳になるとき,45歳になる時を想像して,就職先を選びましょう.

      マットリドリーの集合知の話で説明しましたように,多くの人が協力できるチームほど効率的で強力です.
      チームの一員となるには「信頼」が最も大切であるため,信頼を壊す行為は「悪」となります.
      これが規則で定められている国家を法治国家と呼びます.

      就職をサバイバルのための一手段と考えるのであれば,
      そういうチームに入れることが,就職の成功というのでしょうね.

      ○世界に目を向けると,
       眠れる獅子の国が目を覚まし,世界の警察の国がビジネスマンに転職しました.
       実体のないお金を多くの人が信じ,紙よりも薄いテレビが出てきました.名実ともに映像は2次元に近づいていますね.
       みんなが,見えないものを見えると信じ,夢を信じられるというは,全体的に若くなったのかな?
       ここに,巨大なビジネスチャンスがあることが見えますか?

      ○投資先という意味では,
       太陽からすべてのエネルギーを搾り取る技術にすべての投資が集まってきています.
       「パラダイムシフト」の時代です.
       1930年を再現することになるのでしょう.グローバル化が進んでルールが固定化し,定石が多くなってしまって,勝負がつかなくなってしまったのですね.
       まずは,世界大恐慌でリセット,スゴロクで言うところの振出しに戻らなければならなさそうですね.

       

       いまごろ電気自動車に舵を切る企業は,視界不良となり,将来はIT企業の部品メーカへまっしぐら.
       経済規模が違いすぎて同じ戦略では中国に勝てません.
       柔力剛を制すという言葉を忘れているのでは?

      ○エネルギー革命という観点では,
       さてさて,太陽からエネルギーをもらえることがわかって,石油が役目を終わりそうです.
       蒸気機関で世界を席巻した英国が衰退し,半導体で世界を制したアメリカに代って,太陽光で中国が台頭してきています.
       日本は,「日出る国」ですが,日本を通り過ぎて,天高く上った太陽は,中国とアラブ諸国を照らすようですね.

       

       エネルギー革命によって,経済破たんした町が北海道にあります.
       地面から金に代る黒い石が掘り出せたのに,それを全て飲み食いに使ってしまい,資本化できなかったのですね.

       

       一方で,古びた石の建造物やドギツイ赤い車の生産国を思い出してください.
       柱とアーチの建造物は,ちょっとかっこよく作っただけで,たくさんの観光客を呼び寄せ,強力な集金システムとして機能しています.
       ドギツイ赤い車は,多大な燃料とメンテナンスコストがかかるにもかかわらず,多くの人が喜んで数千万円のコストを支払って購入します.
       多くの人がお金を支払いたくなるようなモノやシステムを造り出せることが,資本を作るということです.
       エネルギーが地面の下にあるうちに,強力な資本を作り出すことができれば,子孫はサッカーに興じてビールを飲んでいるだけで安心して生きていけることになります.

       

       皆さんが考えるべきことは,「資本」を作る方法でしょうね.
       皆さん自身が投資先ですよ.
       「給与収入,不動産収入,株式収入,特許収入・・・・顔スタイル歌センス?」,他に売れそうなものはなんでしょうね.
       でも,金だけがすべてではありませんよ.
       金は,手段に過ぎません.・・・・・・・・何のための手段であるか?は,各自で考えてください.

      ○本音は隠しておく時代
       大企業は建前が大事.ポリティカルコレクトネスに首を絞められている.
       グローバル化というのは,みんなに認められるような意見しか公言できない雰囲気を作ってしまうのですね.
       アイドルはトイレに行ってはいけないのでしょうね.
       トランプ大統領は,本当に際どい切り札で勝負をしますね.

       

       大事なことは,そういうことではなく...皆さんはどう考えますか?

      ○品質神話から逃げられない.
       残念なことに,コストで負け,物量で負け,資産で負け
       品質が高いことは日本の誇り? 武士は食わねど高楊枝といったところかな.それとも負け惜しみ?
       品質が本当に高ければ,もちろん競争力がありますが,偽装はいただけませんね.
       土地神話で巨額の赤字をだした銀行や証券会社の二の舞ですね.歴史に学ぼうよ.

      ○差別は自然発生するもの?
       「天は人の上に人を作らず」とは,福沢諭吉の「学問のすすめ」の有名な一節です.
       習得した学問レベルによって上下が決まる.学問はSituatednessである必要がある.
       究極の”差別”の啓蒙書ですね.
       現実的は,それらしい言い方かもしれません.
       これに反して,実社会では,悪平等がまかり通る場合もあります.
       いずれにしても,なんか適当な理由をつけて優劣を決めないと,穏やかな利益分配はできません.
       理由なんてなんでもいいのですよ.
       それらしい理由を見つける能力は,利益を得るためには必要ということですね.

      ○人間ってなんだ?
       人間は考える葦である・・・ブレーズ・パスカル(フランス,哲学者,物理学者,数学者)
       なんと,植物だったんだ.面白い視点ですね.

       

       一方で,考えられない人間は人工知能にとってかわられるという風潮がありますが?はたして本当でしょうか?
       そんな強迫観念で人心を揺さぶろうとするのは,よくあるプロパガンダですね.
       これを真に受ける人は,人工知能を信奉しすぎです.
       探索することと考えることは別物です.
       この論理の矛盾を指摘することは簡単ですが,皆さんは,考えることができますか?

      ○徳と法
       我が国は法治国家?のはずなのですが,最近の裁判所の判決は,法律論に偏りすぎて,あまりにも国民感情から逸脱したものが多くなりました.
       法律の専門家を自称する人たちが,机上の空論で遊んでいる状態となっており,Situatednessを失っている状況に見えます.
       法律が独走すると,国民の同意を得ることができなくなります.
       この状況を「形骸化」といいます.いわゆる「形」が優先されてしまって,本質を見失っている状態です.
       すなわち,法律が立脚点を失うことになり,法治国家の根幹が揺らぎます.

       

       一方で,「徳」とは,自然と湧き上がる従属感情をベースとしているルールのようなものです.
       これは,個々人の成育環境や性別等によって,さまざまに異なってしまいますので,集団が大きくなると矛盾が大きくなってしまいますので,ルールとして機能させることが難しくなります.

       

       これら2種類の「ルールのようなもの」については,哲学者のカントを読みましょう.

      ○善と悪
       何をすべきで何をすべきでないか?
       これもまた難しい.
       「己の欲せざるところ,他人に施すことなかれ」・・・論語
       「研究室には,あなたのママはいません,ごみを散らかさないでください」・・・留学先の研究室に張ってあった注意書きです.
       「イルカやクジラに危害を加えてはいけないが,ハエやゴキブリには殺虫剤をかけてもよい?,実験に使うときも倫理委員会はいらない?」
       矛盾がいっぱいですね.

      人間社会は,矛盾に満ち溢れています.
      それでも,時代に追いつかなければサバイバルできないのでしょうね.
      茹でガエルは食べてすらもらえないかもしれません.

      「悟り」を開くまでの道のりは遠いものがありますね.
      いやいや,「禅」を実践しましょう.

      今日はここまでです.

  • リストラと価値観

      皆さん,
      横井です.

      本日のコラムは,リストラと価値観についてです.

      リストラ,40代・50代になると,再就職は難しい.30代はまだ大丈夫かも.
      リストラ部屋をつくる企業=ブラック企業
      というのは,巷にあふれる情報です.ネットでググってみてください.

      近年の日本のコモンセンスになりつつあります.最近では,東芝,三越伊勢丹,オリンパス,シャープ,ソニー,サンヨー,三菱自動車,JAL,日産,トヨタ・・・・あまりにも多くの一流企業が頻繁にニュースに登場しますので,ありふれた現象の一つになりつつありますが,本学の卒業生の中にも,この厳しい波の中で活路を見出そうとしている人たちがたくさんいることに目を向けてほしいと思います.
      これから就職活動を行う人,就職先の決まった人,もう一度,何が必要なのかを再認識してください.

      リストラされることは,何がいけないのでしょうか?
      給与がもらえなくなる?
      まあ,その通りなのですが,仕事がなくなれば,給料は払えないというのは,資本主義の道理ですよね.
      私たちは,好むと好まざるとに関わらず,この世界に生まれ,この世界の中で生存競争を戦っています.
      もちろん,ある程度の経済力を身に付ければ,生きる世界を選択できますので,相応の国の国籍を得ればよいわけです.

      資本主義社会の会社組織において,皆さんが,30代,40代になって,従業員から社員に昇格し,部下ができれば,給料を払う側になります.
      そこで,もしも,皆さんに,時代を捕まえる力がなければ,その組織は給料を支払う能力がなくなりますので,皆さんが管理する組織ごとリストラの対象となります.
      皆さんは部下から見れば,ブラック上司になるわけです.

      さて,どこに問題があるかというと,「給料を支払う・受け取るという関係」がなければ,リストラする必要も生じないわけで,問題の根源はここにあることになります.
      40代以降になって,リストラされたら,どこかに再雇用してもらおうなんて思わないで,自分で企業を創ればよいのですよ.

      当たり前じゃないかと思うかもしれませんが,給料をもらおうと思うから企業に入るのでしょうか?
      給料をもらえる状況,および,契約内容がどうなっているでしょうか?
      それらがなぜ設定されているかを,もう一度,よく考えてみてください.

      視点を変えて,別の見方をしますと,皆さんがどこかの企業に就職した後に,後輩をリクルートに来るとしましょう.
      どのような学生に部下になってほしいと思いますか?
       1.大学で何を習得したかよくわからないけど,とにかく単位は取得して卒業した.
       2.とにかく給料が高くて,福利厚生がしっかりした企業に勤めたい.
       3.趣味の世界で生きていきたい.
       4.ジェネラリストになりたい.
       5.グローバルに活躍したい.
      これら,5択の中から選ぶとすると,どうするでしょうね.
      おそらく,これら5択をすべて除いて考えると,今は売り手市場なので,後輩をリクルートすることは難しくなるでしょうね.

      とはいえ,もともと仕事を取ってくる気のない人に給料を支払い続けることは,容易なことではないでしょうね.
      ここでは,本来,上司になる人の手腕が問われることになり,多くの部下をまとめて,金になる価値を生み出し続ける必要があるのですが...

      皆さんが就職先を考える場合には,先輩たちは,同じような視点で皆さんを評価していると考えて,間違いありません.
      1~5,すべてにおいて優劣を含んでいますので,これだけでは何とも言えませんが,たいていの学生が自分を表現するときに出てくる言葉は,こんな感じで止まっています.
      それ以上に突っ込んで聞き出そうとすると,だいたいが,何も出てこない場合が多く,どうしたらよいか教えてほしい・・・というような感じです.

      若い人たちが,物事をよく理解しているという状況は,そうそう多くはないため,上記のような状態になることはよくあることなのですが,中身があるかないかという部分に関しては,しっかりした価値観を持っているかどうかにかかっています.価値観とは,「優劣または好き嫌いなどを判断するための基準」のようなものであり,生きていくべき方向を決めているか否かに依存します.
       価値観を持っている人は,新しい価値を生み出す能力を持っている場合が多いのです.もちろん,いろんな意味で,あちこちとぶつかる可能性も高いのですが,それはそれで,良くも悪くも大いに評価される対象となります.
       当然のことながら,10人10色ですので,その人の持つ色が,希望する企業に合うかどうかは判断が分かれるところです.あまりに色調が強い色を持つと敬遠されてしまうかもしれませんが,色がないよりは,数段,マシなことです.
       とにかく,一番まずいのは,「色がない」と思われることなのです.企業担当者から,「君はどういう人なのかよくわからない」なんていう印象をもたれたら,アウトですね.

      言い古された言葉ですが,就職戦線を勝ち残ってくれることを願っています.

  • 研究室を離れる皆さんへ(2016年度)

      4年生,修士修了者の皆さん

      横井です.
      卒業・修了に際し,皆さんへの送別の言葉を送ります.

       

      今年度の卒業生については,それなりに凹凸はありますが,本人の努力とアイディア,そして,先輩方の手厚いサポートによって,無事に卒業を勝ち取ることができました.
       私としては,研究室全体が後輩の指導と支援に一丸となって取り組んでくれたこと,また,新人には高いハードルに果敢に挑戦し,相応のレベルの成果として論文の執筆に到達してくれたことに,大きな喜びを感じることができました.
       修士修了者については,一般の研究者と肩を並べるレベルの課題を解決し,定量的かつ客観的な論述に基づいて学位論文をまとめ上げることができたことを高く評価します.真の意味で,素晴らしいと評価します.
       昨年度に引き続き,今年度の修士の学位論文は,未来永劫,長期間にわたり,後輩たちの参考文献となり,さらに,手本となることでしょう.

       

      研究室というところは,協力の場であるとともに,競争の場でもあります.互いに切磋琢磨しながら,知的活動の階段を上ることにより,社会に通用する専門家を養成する場です.皆さんは,その中で相応の時間を過ごすことにより,協力と分担という研究者間のコミュニケーションの基本を習得したことになります.与えられる学位は,工学という分野の専門家として相応の知識と技術を習得したことを証明するものですが,研究室でサバイバルできたことは,集団の中で仕事のできる人間であることを証明するものでもあります.

       

      これから皆さんが飛び込む社会は,学生時代とは異なり,共通の利益を求める集団で協力し合うことにより,他の集団との利益獲得競争を行う場所です.そこには,特許法という共通ルールがありますが,基本的にはアイディアの融合と競争,その実践力が問われる環境が待っています.
       これまでの大学という教育環境とは大きく異なり,非常に大きな資金を動かせるとともに,社会的な責任が伴います.おそらく,非常に面白くもあり,ストレスも大きくなるかと思います.もちろん,個々人の負える責任には限りがありますので,活動できる領域は,現実的なサイズにまとまってしまうかもしれませんが,若い人には,すべての人に,等しく可能性が与えられています.
       人は,その生まれ育ち,学歴,資産などにより,スタートラインには違いがありますが,すべての人に共通しているのは,「時間」です.誰にとっても1時間は,1時間です.時間をいかにうまく使うかによって,誰もがビル・ゲイツやアルバート・アインシュタインになれる可能性が残されているのです.

       

      皆さんの一番の敵は,皆さん自身です.
       自らができないと思ってしまうと,どんなことも完成させることはできません.
       これを養老先生は,「バカの壁」と名付けました.

       

      その逆に,できると信じれば,大抵のことは成就します.
       自ら枠を狭めることなく,挑戦を続けてください.

       

      皆さんの活躍を祈っています.

  • 4年生の卒論に向けて

      4年生の皆さん

      横井です.
      卒論の執筆まで,残すところ2か月を切りました.
      多少の差はありますが,これからが本番です.
      体調を整えて,着実な一歩を刻んでいってください.

      研究会の時にも説明しましたが,卒論については,とにかくも論理的に整合性の とれた発表を行うことができれば,誰でも合格できるようにできています.

      論理的に整合性のとれた発表とは,
      1.緒言・・・背景・・・社会的課題や従来の研究で明らかになった課題の選定 (卒論ではここが一番大切)
      2.目的・・・上記の課題を解決し,何を達成目標とするかを明示
      3.提案・・・課題解決を行う方法や理論を記述,数理論的に記述すべき部分
      4.実験的検証・・・実験条件を詳細に記述,得られた事実のみを記述.(ここ に結果を書く場合もあります.)
      5.結果・考察・・・方法論が効果的に課題を解決した領域とうまくいかなかっ た領域を分けて,その理由などについて論理的に導かれる事実を述べる.
      6.結論・・・目的は達成されたか?

      などとなります.
      前に述べたことを受けて論理を構成すれば,整合性のとれた発表となるわけです.

      卒論発表の場では,私は助太刀はできませんので,黙り込むことしかできません.
      (もちろん,それまでは,多くの小言を言うことになりますが...)

      皆さんの健闘を祈っています.
      先輩たちも,4年生全員が揃って卒業できるように,助け合って,支え合ってく ださい.
      助言,叱咤,激励,何でもありです.

      がんばれ!

  • ポリティカル・コレクトネスの破たん

      横井です.
      今日は,ドナルド・トランプ氏がアメリカの大統領選挙に勝利した日となりました.
      普段は政治的な話はしませんが,この出来事は,覚えておいた方がよいと思いますので,コラムを書いておきます.

      さて,ドナルド・トランプ氏とは,どのような人物でしょうか?
      1.差別主義者
      2.大金持ち
      3.ハラスメント大王
      4.銃規制反対派
      5.保護主義
      などなど...

      近年のスマートなアメリカ紳士の姿からは,想像できないぐらい,というか,まったくの対極に位置する人物ですね.

      今回の大統領選挙は,大方の予想では,ヒラリー・クリントン氏が当選するであろうと考えられていましたが,このような「怪物」のような人物が当選してしまいました.

      さて,この状況は,いかに理解すればよいのでしょうか?
      沖縄のアメリカ軍が居なくなるぐらいのことは起こるでしょうが,そんな小さなことはどうでもよいことです.日本という国がなくなるかもしれないレベルの話ですから.

      最近の世界の出来事と合わせて,読み解いてみましょう.

      1.アルカイダのテロとイラク崩壊,ISISの台頭(中東情勢)
      2.ソビエト連邦崩壊とロシアの経済危機,ウクライナ侵略
      3.英国のEU離脱BrexitとBregret
      4.ドイツの難民受け入れと周辺国の国境封鎖,ナチス風政党の復活
      5.中国の南シナ海侵攻
      6.フィリピンの対麻薬戦争と毒舌大統領
      7.北朝鮮の核・瀬戸際外交
      8.アメリカの世界警察の権力の失墜

      英国のEU離脱の時には,英国の知識レベルの低下に本当に驚きましたが,今回の大統領選の結果を見るにつけ,「アメリカよ,お前もか.」という気持ちです.

      これらを並べてみると,最強の国家がなくなったため,世界の強国が覇権を争う時代に入り始めていることがわかります.まず第一にわかることとしては,早い話が,これまで安定していた西欧諸国の世界観が崩壊し,下克上の世の中に逆戻りしそうな様相を呈しているということなのでしょうね.

      それだけ,下層階級の人口が増加し,生活に不満を持っている人々,行場のない怒りを持っている人々が増えてきているということのでしょうね.

      人は動物の頂点に位置する生き物ですし,さらにその上に行きたいという欲求を持つことも理解できます.今の現状に満足できないというのは,自然現象ですね.そうなってしまうと,法律やモラルなんて,何の役にも立ちません.

      ちなみに,スイスは,15世紀~18世紀のヨーロッパの戦争において,多数のスイス人を外国人部隊として各国に派遣していました.当然のことながら,それぞれの国では外国人部隊を先鋒として扱いますので,大量のスイス人が死に至ることになりました.この教訓をもって,スイスは永世中立国を宣言し,他国の争いに関与しない,すなわち,中立を国是としたのです.とはいえ,スイスは鎖国をしているわけではないし,核保有国ですし,強力な軍隊を持っています.

      さて,次に,ポリティカル・コレクトネスについて,下記の記事が興味深いので読んでみてください.
      http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20161109-00514398-shincho-int

      私が常々言っていることでもありますが,最近の社会の問題点は,行き過ぎた「個人の権利の保護」に集約されます.
      1.犯罪者の方が被害者よりも保護される社会
      2.権利を持つものは,もっと権利を持ちやすくなる社会
      3.弱者は保護されるのが当たり前という社会
      4.言葉狩りの横行
      5.払えない賠償金は払わなくてもよいという社会
      などなど.

      人対人の権利や義務のせめぎ合いの話になるのですが,権利の保護が進み,義務の範囲が縮小している状況にあります.別の言い方をすると,人の権利が優先されすぎたため,人の権利が毀損されるという矛盾が起こっている状態にあります.  これは,社会に生活するものとして,非常に息苦しく,また,相手を許せなくなる社会になっていると考えられます.このような状態を称して「不寛容の世界」と呼ぶ学者もいます.

      ポリティカル・コレクトネスに代表される「正しい行い,行動規範,モラル」等と呼ばれるものは,人が人の行動を縛るための呪文のようなものです.

      「言いたい人には言わせておけばよい!」といえる人は,強い人です.
      ただのおバカさんかもしれませんが...少なくとも,そう言い放ってしまったことによる損失や攻撃を気にしないか,気付かないでいられる人です.

      今回の大統領選では,こういった無理な状況が爆発したと捉えると理解しやすいのではないでしょうか.

      皆さん,これからの世界は混迷を深め,かなりドギツイ状況になると思いますが,少なくともこれまでの閉塞状態からは脱却します.気をしっかり持って,強か(したたか)に生きていってください.

      楽しく生きていくためには,二重国籍は必要かもしれませんね.安心するためには三重国籍ぐらいあったほうがいいかも.

      さてさて,今後どうなるでしょうね.

  • 就職活動を有利に進める方法

      横井です.
      就職活動に苦労している人たちもいるのではないかと思い,一つの経験談を披露します.

      私が就職活動を行った時代は,昔のことなので,今とは異なるようなイメージを持つかもしれませんが,大手の企業が一様に求める内容というのは,100年ぐらいでは変わらないものです.

      就職活動には,大きく分けて3段階があり,それぞれの段階で,フィルターがかかっています.そのフィルターの代表的なものを列挙してみました.

      1.リクルーターが目をつけるところ:
         元気・・・・・・第一印象はOK,
                 さて,どこまでのプレッシャーに耐えられるかが試されます.
         ポジティブ・・・どのようなことからも,良い点を見つけ出せるかどうか.
         分析的・・・・・事実の正確な把握と,要素の並べ挙げ,
                 そして,関係性の明示する能力.
         業績や成績・・・上位5%程度の学生はOK
         経験・・・・・・挑戦してきたこと,一つのことに打ち込んでいると高評価
         論理性・・・・・事実の正確な把握と,場合分け,そして,体系化
                 上記と矛盾しない結論を導く能力
         健康・・・・・・実は,これが一番大切です.
                 男女を問わず,若々しく美しいこと.
                 ただし,見目形の話ではなく,健康的でフレッシュな印象.
         上記のどれかが優れていると,リクルータからは高評価を得られます.

      2.人事部が選ぶ人:
         失敗をたくさんしてきた人:どれほどたくさんの挑戦をしたかが鍵,
                苦心惨憺いろんなことを試して,自己研鑽してきた人が高評価
         成功をたくさんしてきた人:苦労をしていない,すなわち,
                自分の限界に挑戦しなかった人とみなされて,この時点で,アウト.
         よく調べる人:就職したいと思う企業ならば,当然,よく知っているはず.
                企業に関する知識量を問われます.
         客観的な人:自分のことをよく知っている人は高評価.
                自分の話ばかりする人は,主観的とみなされアウト

       

      一番ダメなのは,その企業のことなど何も知らずに,一部上場の大企業だから,就職したい・・・という印象をもたれたら,アウト.当たり前のことですが,寄らば大樹の陰よろしく,給料だけ欲しくて,働く能力のない人を採用したのでは,業績が落ちますので,人事部の評価が下がります.

      3.役員の目に留まる人:
      客観的に自分をみれるかどうか.人をまとめられるかどうか.
       ここで重要な点は,いかに多くの仲間を作って,大きな仕事を進められるかを判断しようとします.大卒を採用するということは,将来の幹部候補を採用することと等価なので,一部の大天才を除いて,一匹狼は必要ありません.
       執行部は,多くの人と協力し,利益の適正な再配分と信頼を得られる人,そういう人を採用しようとします.もともと企業とは,仲間が集まって,利益を確保しようとするところなので,ここに重点が置かれることは,いたって自然です.

      余談ですが,研究者の場合は,一匹狼でも構いません.
       学術論文や特許などの業績が十分あれば,採用されますので,企業の場合でも研究所などを志望する場合には,上記の内容は適合しない場合があります.

      以上.就職活動の健闘を祈ります.

  • 未来の道しるべ(ランドマーク)

      横井です.
      研究室を育っていく人たちへ向けて,一言です.
      (若い人たちに,言ってもわからないかもしれませんが・・・少なくとも,私が皆さんと同じ年齢だったころには,よくわかりませんでしたが,知識としては知っていたことを書いておきます.時代が変わったかもしれませんので,適当にモディファイして活用してください)

      これから社会へ戦いに出ることになります.
      人は一人では非力です.人は人と協力することで,2倍以上の力を発揮する生き物です.

      進化の歴史の中で,
      ・多細胞化により,死滅する可能性を低下.
      ・機能分化により,個々の作業は単純化し,組織としては効率化,全体として利益最大.
      ・神経ネットワークにより,知能化,予測能力獲得
      ・通信能力(符号化)により,群衆としての知能を獲得,社会性動物の誕生
      ・ピラミッド,万里の長城ができる...月から見える唯一の人工物

      良い仲間を見つけて,協力し合うことにより,組織は強くなります.
      そして,その仲間が多岐にわたるほど,強力です.

      会社組織は,営利を目的とするものが協力し合いながら,利益を再配分する仕組みです.
      新しい人を吸収しながら,組織の活力を保ち,協力して最大の利益獲得を行うことを目指しています.

      組織の中では,自分の能力が最大限に発揮できる部門を見つけられることが,楽しくかつ最大利益で働ける方法なので,皆さんがうまくそのポジションを見つけられることを願っています.

      ここでの”楽しい”という意味は,”やまいだれ”のつかない”知的な営み”の意味です.仲間の見つけ方に飲み会というものがありますが,頻繁に行われる飲み会は,昔は,”傷のなめ合い会”と言われており,悪い仲間に取り込まれる罠です.違法性の高い企業ほど自己啓発セミナや懇親会を盛り上げようとしていますね.酒の勢いで都合の悪いことに疑問を抱かせないようにしているのでしょう.力量のある仲間は,飲み会など頻繁に行わなくても,心が通じるものです.そういう仲間を見つけてほしいと思います.

      とはいえ,必ずしも,皆が良い仲間を見つけられるわけでもありませんし,自分に合ったポジションにつけるわけではありません.不運にも,3年我慢して見つけられなかったとしたら,その場所はあなたに向いていないのです.その時は思い切って,生きる場所を変えましょう.ただし,そのチャンスは1度だけです.能力の伴わない転職は,必ず条件を悪くします.同じことを2回やると,同期生から6年遅れることになり,絶対に追いつくことはできません.

      細胞性粘菌(アメーバ)の研究で明らかなように,多細胞体は強制的な新陳代謝ということが行われます.細胞性粘菌は,非常に原始的な多細胞体なので,活力がある細胞もない細胞も,大した区別なく,ある一定の仕事を行った後に,体外に排出されます.

      ちなみに,会社とは,営利目的であり,利益を再配分することを目的とした組織であることを述べましたが,株式会社の場合には,利益を再配分する先は,社員だけではなく,株主など,いわゆるオーナーへの配分が大きな部分を占めています.すなわち,オーナー側になるべきであることを意味しています.

      会社で働くとは,十分な能力もないうちから給与をもらうわけなので,オーナーに借金して,その利息を払っているようなものであることを心に留めておいてください.日本という国は,その辺のシステムが幼稚なのです.

      また,大企業というのはアメーバ程度の進化レベルに留まっているようで,35歳定年や55歳定年などの強制的な新陳代謝が待ち構えています.10年先,30年先のことなので,現実的ではないと思いますが,一応,そんな時代に生きていることを知っておいた方がよいと思います.

      35歳の決断
      http://next.rikunabi.com/tech/docs/ct_s03600.jsp?p=000314

      55歳の決断
      http://diamond.jp/articles/-/43702

      これに対する対抗策は,論文を書くことです.大手の企業から大学教員や研究所に教授職で移る人たちがたくさんいます.そういう人たちは,誘惑から脱して,苦しくともこつこつと研究を続け,論文を書いてきた人たちです.この受け皿は,年間2000名程度と意外に多いのですが,毎年100万人もの人たちが候補者としていますので,その競争は厳しいものがあります.概算ですが,30歳で助教を目指そうとしますと論文数として10編程度以上,35歳で准教授であれば20編程度以上,45歳で教授ならば50編以上が目安になります.もちろん,その論文のインパクトファクターによって前後しますので,あくまでも目安です.

      それ以外の方法もいろいろとあり,起業して独立する人たちもたくさんいます.ちなみに,こちらの方はだれでもできますが,生活を支えられる程度に軌道に乗せることのできる人は,100人に一人ぐらいです.こちらの方が確率は高そうですね.

      少しでも,自分の能力を高め,数名の信頼できる友人を見つけ,論文などの客観的に自分の能力を証明でき,会社名の入らない名刺を獲得していってほしいと思います.

      とはいえ,二兎を追うものは一兎を得ずのたとえもあります.能力の枠を超えて,いろんなことを並行して行うと,全てがダメになります.

      敵を知り己を知れば百戦危うからず.
      己の力量に応じた戦い方をすべきでしょうね.

      いずれにせよ,備えあれば憂いなし.

      皆さんの健闘を祈ります.

  • 感謝

      皆さん (研究室の学生に宛てて)

      横井です.
      さくらサイエンスプラン(南開大学)への真摯な対応,とてもうれしく思いますし,心から感謝します.

      このために,研究室一丸となって準備に取り組み,毎日,長時間にわたり対応してくれたことで,満足な結果が得られていると思います.

      明日は,トヨタ自動車およびアサヒビールの見学,そして,明後日は修了式と聞いていますが,彼らにとってこの滞在は,きっと,心に残るものになったことでしょう.

      ことばと文化の違いを乗り越えた先に,理解というものがあり,その理解を通して人は幸福感と安堵感を得ることができます.そう感じている人は自分の成長を実感できるでしょう.

      この取り組みを通して,国際的な友人がたくさんでき,皆さんの心の生活範囲が広がることを願っています.

  • 夢を持って

      横井です.
      本日のコラムは,「夢を持って」です.

      私もそうでしたが,若者だった時には,何も持っていませんでした.
      もちろん,今でも,ほとんど何も持っていませんが.

      人は,長い年月を生きていく過程で,いろんなものを獲得します.
      たとえば,技,経験,信用,知人,財などです.

      企業は,なぜ,新卒者を雇用したいと思うのでしょうか?
      または,皆さんが採用担当者になった時にも,おそらく,年寄りを雇用したいとは思わないでしょう.それは,なぜでしょうか?

      若者には,年寄りにはない,何かがあるからでしょう.

      では,皆さんが日常生活で困った問題が起こった時に,誰かに相談するとしましょう.
      まずは,友達,その次に,親,または,教員,それでも片付かないときには,行政機関や弁護士,一般には,年長者に相談することが多いと思います.
      さて,それはおそらく,知識や経験,または,権力を期待して,相談を持ちかけることになるのでしょう.

      このような意味では,若者には,知識も経験もなく,ましてや財力もない,
      では,なぜ,企業は若者を採用しようとするのでしょう?

      話は本筋から逸れますが,ここ数年,中途採用者を即戦力として雇用している企業も多くなってきていますので,
      必ずしも,新卒者が就職に有利というわけではありません.

      若者を雇用したいと考える第一義的な理由は,「健康的に働ける期間の長さ」でしょう.
      そして,次の理由は,「新しい世界に飛び出して行ける冒険心・心の強さ」にあります.

      先週のコラムと同様に,すべての生き物の進化生存の原理は,「適者生存」であり,環境への適応能力の高さが,すべてに優先されます.
      企業とて,生存し続ける適者となりたいわけです.

      一般に,心と体が健康で強くなければ,新しい環境へ適応することができず,新しい機能を獲得することはできません.
      企業は,多くの人間が寄り集まって,機能分担・分業制に基づいて活動を行い,利益分配を行う社会性集団です.
      企業同士が切磋琢磨しながら作り出しているこの世界は,毎日のように環境が変動し,常に新しい環境が作り出されています.
      そこに適応するためには,常に若々しい構成人員を補充しながら,冒険を行う部門を確保しておく必要があるからです.

      とはいえ,
      「少年老い易く学成り難し」とは孔子の格言ですが,これは人間の悲哀をよく表している言葉であり,若者が学ぼうとしてもその時間はとても短く,すぐに老いてしまうことを端的に表しています.

      ここで,老いという言葉は,新しい機能獲得ができなくなること,すなわち,環境への適応能力がなくなることと読み替えることができます.
      適応能力を無くした人を欲しがる企業は,少数派ということになるでしょう.

      この格言は,皆さんもよく聞かされてきたと思いますが,その意味を深く理解できている人は,それほど多くないのではないかと思います.
      若いころにゲームや漫画に興じ「受動的」遊ばせてもらって,時間を過ごすことを「浪費」といいますが,
      それは,ゲームや漫画に限らず,「主体性・能動性」の無い活動は,すべて浪費なのです.
      その理由は,その空間にいると,心地よくていつまでもいたいと思うこと,時の流れや環境の変化がないことを意味しています.
      自分が新しい機能を獲得できなくとも,何の不都合もなく,誰からも邪魔されない.
      このことそのものが,自分で自分の進歩を止めることを意味しています.

      「若いころの苦労は,買ってでもしろ」という格言もまた,同じような意味でしょう.
      苦労して階段を上ろうとするものには,チャンスが与えられ,新しい機能獲得が可能となるでしょう.

      企業の話に戻しますと,このような意味で「輝きのある若者」を求めているということなのです.
      しかしながら,いわゆるモラトリアム型の浪費に逃げるような若者は,「学成り難い」少年なので,早々に老いてしまうため,企業では必要ないということになるのだと思います.

      就職面接の中で,企業調査,市場調査,自己評価が重要となる理由は,その学生が自分の殻にとじこらずに,
      客観的な情報をいかに多く集めたか,また,その勇気と能力があるかを問うているのです.
      これを問うことで,その学生の本質的な力が見えてくるのです.

      知識量も大事ですが,ただの評論家では,役に立ちません.
      専門書を集めた図書館があれば,事足ります.
      重要な点は,知識量だけでなく,それを使いこなす知能です.
      また,飲み会のカラ元気も大事ですが,薄っぺらいと宴会の時だけ部長ですが,日常業務では平社員です.
      宴会の時だけでなく,実社会でも挑戦し続けることができて,はじめて意味のある元気となります.
      知能と元気を兼ね備えることこそ,魅力ある若者といえるでしょう.

      さて,新しい環境であれば,何でもよいのかという疑問が次に湧いてきます.
      ほとんどの人が,特に目標など持っては生きていないのでしょうが,それは,それで良いのかもしれませんが,
      私は,そのような人生を推薦したいとは思っていません.
      あきらめるのはいつでもできることなので,若い人たちには,夢を持って生きてほしいと思います.
      夢を持つということは,何らかの目標を持つということであり,目標と現状との距離関数を定義することができるので,生きていくことに楽しみができることになります.

      失敗したとしても,ゼロになるだけです.
      成功すれば,楽しめたぶんお得でしょう.
      とはいえ,皆,この世の終焉にはゼロになります.
      結果は同じということだけは明らかです.
      「踊る阿呆に見る阿呆,同じ阿呆なら踊らにゃ損損」ですね.
      よって,何も恐れることはありません.

      皆さんに伝えたいことは,上記の意味で「若さを無駄にしないように」ということです.
      新しい環境への挑戦を恐れず,夢を持って冒険し,経験を自分のものにしていってほしいと思います.

  • 迷信と権力

      本日は,久しぶりにコラムを復活させます.
      (前はよく書いていたのですが.最近忙しかったので,つい,さぼってしまっていました)

      表題は,「迷信と権力の構図について」です.
      世の中をどのように認識し,自分の人生をいかにして過ごすか,これについて,考えてみてください.

      人類の歴史の中で,古典的な権力維持の原動力は,差別です.
      区別というと少しニュアンスが変わりますが,意味的には大差なく,何らかの指標に基づいて二者間の差を測り,待遇を分けることを意味します.
      また,英語では,どちらもdiscriminationですね.
      このコラムでは,差別とは,妥当性の無い区別により,何らかの拒否が行われることという意味で使います.

      もちろん,我が国も例外ではなく,明治以前の前世代的時代には,差別に基づいて社会的階級が決められ,その中で,多くの人々が生きてきました.
      そこでの距離関数は,「神仏との距離=人間の価値」という迷信に基づいて決定され,動物の血に触れる職業にあるかまたは近いものほど低い階級にあるとされてきました.
      簡略化すると,「神仏>人間>間人>動物」というような構図を植え付けようとしたと解釈できます.

      この迷信は,「放生令と肉食禁止」という形で,平安時代の仏教文化とともに発展し,江戸時代まで続いてきました.
      「放生令」とは,生きているものを野に放つこと,すなわち,動物を家畜として捕まえておくのではなく,
      自然に帰してやらなければならない,これにより,生き物を大切にしたこととなり,仏に近い行いができるという法律です.
      また,「肉食禁止」とは,肉を食べたものは,ある一定期間(数十日),神社仏閣に入ってはならないという法律です.
      皇室を中心とする政治が仏教をもって国を治めているときに,神社仏閣に入れないということは,
      政治に携われないということであり,これは直ちに権力を失うことを意味します.
      要するに,その間の我が国の人々は,よく訳の分からない理由で肉を食べることを良しとできなかったわけです.

      その一方で,生き物の殺戮は,仏教の教えから言うと「悪」であるために,これに近いことを,
      すなわち,「穢れ(けがれ)」と称し,忌み嫌う対象と位置付けたわけです.

      国家権力とは,いつの時代もそうですが,なんとも危ういものであり,人間が生得的にもつ恐れや悲しみ,
      または,悦びや楽しみを対象として,これらをうまく操ることにより,人心を掌握し,群衆をまとめ動かすことによって成り立ちます.
      そのための立脚点として,見えないもの(神仏や動物)を持ってくることは,一つのアイディアです.
      仏教を政治の中心に据えるアイディアは,その世界が1000年余りも続いたということから,とても成功したと言えるようです.

      この国家権力のもたらした利益は,どのようにして生きていったらよいかわからない人民に労働の役割を与え,
      その結果として,食を与えたことと,様々な文化を育んだことと考えられます.
      非常に多くの人が飢えをしのいだことは,功績として認識されます.
      人間は社会性を持つことにより,その適応力を最大限に発揮することができる動物です.
      これには,何らかの求心力が必要であり,群衆を成すことにより,分業による機能分化と専門化,
      そして,技能の向上,結果として,生産性の向上,豊かさへとつながります.
      その求心力となるものは,路傍の石でもよく,ある意味,何でもよいのですが,問題は,その弊害の大きさにあります.

      物事の理解が乏しいと,本来は,区別として用いていたはずのものが,差別へと転化されます.
      本来は,適正な利益配分のために職業の専門性を区別しようとしただけのはずなのに,
      人間性やその価値の評価へと誤解が加速してしまったことが大きな損失を生じました.
      前述のごとく,人は社会性動物であることを述べましたが,同時に,感情豊かな動物でもあり,
      そのマイナス側の感情を強く刺激してしまうという副作用を生じます.
      平安時代の為政者は,このことが理解できていたか,それとも,積極的にこれを利用しようとしたかは,私にはわかりませんが,
      残念ながら,このような誤解が,現代においても続いていることは,とても悲しいことです.
      皆さんには,このことをよく「理解」してもらい,正しい「理解」の下で,正しい生き方を選択してほしいと思います.

      ところで,1300年前の政権が,仏教文化を選択したことについては,現代から見ると,ちょっとおかしくもあり,幼稚なようにも見えますので,
      迷信として嘲笑することはいくらでもできるのですが,これは,昔のことだから許されるのです.
      すべての物事がそうですが,黎明期には,物事の理解を深めるための準備が必要であり,その一過程だったと理解することが正しいと思います.
      例えば,微分方程式を学ぶときには,例題をたくさん解いてみたりして,幼稚な計算をたくさん行うことによって,
      その計算方法を頭に入れようとしますが,後には,微分方程式の解法だけが残ります.
      または,家を建てるときなどには,家の周囲に足場を組むのですが,家が完成した後には,足場は取り除かれます.
      これとよく似ていると思います.

      さて,一方で,いわゆる迷信の問題点や弊害についてですが,現代においても,差別という現象として残っており,
      残念ながら,特に,弱い者やへたれと自認する人たちが,他者を蔑む(さげすむ)ために使うという形態で表出しています.
      これは,まさに江戸幕府が士農工商エタ非人として階層を作ることにより,農業従事者の不満のはけ口を作ったようなものです.
      このような前世代的な認識により,自分の立ち位置を確認しないと安心できないような精神構造は,
      自分は弱い人間であると公言しているようなものであり,とても恥ずべきことです.
      現代に生きるものが,そして,科学を学ぶものが迷信に惑わされることなく,生きてほしいと切に願います.

      それでは,何が迷信で,何が間違っていたかというと,「神仏との距離」ということ,
      すなわち,無いものを有るように見せようとしたことに誤りがあり,そして,その誤りを知らせないために,人民の目先をそらせる手段に出たこと,
      すなわち,差別という虚栄心をくすぐることにより情報を遮断したことです.
      皆さんも会社に就職すると,すぐにわかると思いますが,中央集権的な会社は,末端まで情報が回ってきません.
      情報統制は,権力集中の最適な手段です.(出所不明な甘い誘いに乗らないようにした方がいいと思います,)
      これに対抗する方法は,正しく情報を得ること,正しく状況を認識することだけです.
      インターネットの発達した現代であればこそ,すべての人が同等の権利と条件で戦えるのです.(情報戦争に負けたら仕方がありませんが...)

      そして,すべての生き物には存在権があり,生き死にの価値を他者から決められてよいはずはありませんが,しかし,環境に適応できなければ,そこでは生きてゆけません.
      この世は,局所的には弱肉強食ですが,広い世界では適者生存ですので,どこかでよい環境(エコロジカルニッチ)を見つけることのできるものだけが生き残れるのです.
      いわゆる淘汰圧を環境から受けています.そのためには,己を知らなければ,どの環境に合致するのかも選べませんね.

      すなわち,社会性動物として,他者とつながれる環境を見つけること,たくさんの他者と協力できること,たくさんの他者を助け,また,助けられること,グローバルに,この環境を作り出すことが,現代の適者生存のための最適戦略です.

      すべての人に権利も義務も平等です.
      自己認識と環境認識,これら二つを過不足なく行うことによって,適者となり生存が叶うのだと思います.
      一人ひとりが自分の生き方に責任を持っていることを理解して,生き方を選んでほしいと思います.

  • 終戦時の玉音放送について

      第二次世界大戦の終結時に昭和天皇がラジオを通じて述べられた玉音放送に関するページを見つけました.

      とても分かりやすい現代語訳が書かれています.一度目を通してください.
      http://www.geocities.jp/taizoota/Essay/gyokuon/gyokuon.html

      私は天皇制については,特に意見を持っているわけではありませんが,この文章には,戦火によって荒廃した日本を目の当たりにして,国民をいたわりながらも勇気づける言葉が述べられています.

      現代は,比較的豊かで安全な世の中になりましたが,日本にもこんな時があったことを歴史の資料などで勉強してみてください.

      私たちが予想すべき明日の世界は,かなり混沌としてきています.
      20年後にもう一度この放送を聞くようなことのないように,一人一人が責任を全うすべきなのだと思います.

      皆さんは,第二次世界大戦がなぜ起こったか,知っていますか?
      また,なぜ,敗色が濃くなってもやめられなかったか,原子力爆弾を投下されるまでやめられなかったか知っていますか?

      その理由は,端的に言って,次のようなことです.
      当時の政府も帝国主義とはいえ,選挙で選ばれていましたので,国民の支持を得るためには,勝利の情報を流すしか手立てがなかったのです.
      大きな戦艦を作ったことや,どっかの海で敵国の戦艦を撃沈したことなど,それこそ大本営発表と呼ばれる誇大広告を流し続けたのです.
      国民は,情報統制を受けて,正確なことが見えないような状況におかれたのです.
      このことは,現代の某政権政党の行っていることと,よく似ていると思いませんか.

      私が危惧するのは,この点なのです.
      今も昔も状況的には大きく変わってはおらず,経済的に疲弊すると隣国との摩擦が大きくなるというダイナミクスが働いているようなのです.
      その上,票を集めるために誇大広告を打ち,その責任が取れなくて,さらに嘘の上塗りをする.
      最終的には,どうしようもなくなって破綻.というストーリ.

      サブプライムを起点とするリーマンショックや株の大暴落など,期待価値に対する投資が投機に変貌し,その後,実態が見えて破綻する図式と似ていませんか.
      バブル経済などは,正にこの典型であり,土地神話が導いた期待価値に多くの人が過大な費用を支払ったことにより,土地の取引価格が実態から大きく離れてしまったこととしてまとめられます.
      小さいところでは,最初についた小さな嘘を隠すために,次につく嘘がどんどん大きくなっていって,ついに隠し通せなくなるようなものです.

      このような相似性があることは,学問的には非常に興味深いことですね.
      面白いことに,人は,見えないものを見たいと思うような潜在的な欲求を持っているのです.
      例えば,隠されると興味が倍増するでしょう.
      または,暗いところは,怖く見えるでしょう.
      大山鳴動してネズミ一匹とか,幽霊の正体見たり枯れ尾花とか,
      バブル経済は,日本の土地と企業の実力が明らかになった時点で,集金力をなくしたのです.

      人の社会にダイナミクスがあるとすれば,評価が数の論理に裏打ちされることは,
      すなわち,期待価値(見かけの価値)と実態との間のギャップが大きければ大きいほど,
      また,それが見えなければ見えないほど,強く人の興味を引き付けるのでしょうね.

      パチンコや麻雀などの賭け事も,人の射幸性を逆手に取った手法であり,いい例ですね.
      最近では,水着の女の子や人気キャラクタを用いて異様に華やかに装うことで,期待価値を膨らませることに拍車がかかっているようです.

      皆さんに考えてほしいこととしては,どうやったら実態が見えるかということです.
      表面的なことにとらわれず,本質を見る目を養ってほしいのです.

      ちなみに,蛇足ではありますが,今の若い人たちにとって,日本が破たんした方がいいのか,このままズルズルいった方がいいのかについては,大いに疑問です.
      もしかすると,破綻させて,経済的にリセットすることによって,1000兆円に及ぶ重しから解放された方が,経済的な回復が早く,若い人たちの労働の場が豊富に生まれる可能性が高いかもしれません.
      現在の政党が続けば,早晩破綻するでしょうが,次の選挙で,真面な政党が政権をとると破綻は起こらなくなってしまうかもしれません.

      さてさて,皆さんは,どう考えますか?

  • 高校生へのメッセージ

      大学への進学を希望する人たちへ,大学に勤めるものとしてメッセージを伝えます.
      高校で学ぶ基礎的な知識は,そのほとんどが大学での研究活動を行うために不可欠です.
      高校時代の若くてフレッシュな頭脳を持っている間に,基礎をしっかり身につけて,正しい論理を展開し,適切な解答を導けるようにトレーニングを行うべきです.
      大学で取り扱う「学問」の領域には,ここまでできれば大丈夫というような限界はありません.
      大学に入るものは皆,誰も踏み込んだことのない領域の知識を少しでも広げることを目指して,それまでに学んだ知識と,誰も考えたことのないアイディアを支えとして,挑戦を行い続けなければなりません.
      大学は,学問を行うところであり,学問を通して,新しいものを見出す眼を養うところです.
      企業や国が求める人材は,新しい時代を生き抜く力を持っている人であり,そのためには,新しいものを見出す眼を持つ必要があります.
      新しい眼を養うためには,高校時代に学ぶ基礎力がしっかりしていなければなりません.
      どうぞ,皆さん,皆さんの頭脳が若いときに,しっかりとした基礎力を養ってください

      どのように進路を決定したか

      私は,自身の興味を追求できる都市にある大学を選びました.
      「好きこそものの上手なれ」のことわざにあるように,好きなことをやっていれば,自然と上手になるものですので,せっかく同じ時間を使うのであれば,
      興味を持って取り組むことができ,好奇心によって自然と疑問がわいてくるような分野,そして,答えが見つかった時には,大きな喜びを得ることのできる分野に身を置くべきと考えます.
      私の子供のころからの趣味の一つとして,化石や鉱石の収集を楽しんでいました.
      その中に,石炭や炭鉱がありました.
      私が大学進学を考えた時代は,石油全盛の時代であり,全ての動力機関が石油に変わりつつありました.
      その裏で,石炭産業で働く人々の組合や家族が断末魔の声を上げており,同時に,石炭で潤っていた大都市が大きく傾いていく時代でした.
      このころ,高校生だった私の眼には,燃やせば勢いよく燃える石炭が,その価値を失っていく状況が,何とも不思議であり,大きな疑問となってのしかかってきました.
      世の中は,戦前戦中世代がリタイヤし,折しも電子機器の会社がパーソナルコンピュータを売り出した時期であり,時計が機械式からクォーツの電子制御に変わった時期でした.
      新しいエネルギーが,古いエネルギーを駆逐し,新しい技術が産業を造りだし,その上に,新しい文化が花開く,この状況は,化石の世界で,多くの生物が何億年も繰り返してきたことそのものです.
      大きく発展し世界中に広がった三葉虫やアンモナイト,恐竜など,その栄枯盛衰の歴史とよく似ていると思ったものでした.
      多くの仲間が絶滅する中で,生き残った生物種は,強力な免疫機能や知能を持ったり,過剰な鎧を脱ぎ捨て,高度な運動能力を得たりしながら,競争の時代を勝ち残っていきました.
      人間を含め,すべての生き物は,新しく出てくる強力な機能に駆逐される宿命を持ちます.
      ここで生き残っていくためには,新しい時代に必要な機能を予見し,早くからその準備を整える必要があります.
      ただし,石炭が価値を失ったことを注意深く観察すると,人の社会は,将来を予見するのは少々難しいように見受けられます.
      人の社会は,素材の持つ本来のポテンシャルを正当に評価することをせず,なんとなくそれらしい適当な理由をみつけて,新しい流れが作られてしまいます.
      ぼんやりしていると世の中に流されてしまいますので,どうぞ,正しく見通す眼を養ってください.
      今現在,石油や原子力の神通力が崩れ,自然エネルギーなどという新しいプロパガンダが叫ばれる時代となってきています.
      自動車は機械から電子制御に移り変わりつつあり,すべての人がスマートフォンと呼ばれる強力なコンピュータを持ち歩き,通信回線は膨大なネットワークの中に組み込まれつつあります.
      団塊の世代がリタイヤし,日本の価値観が大きく変わるような時代に踏み込みました.
      ちょうど,私が高校生だった時代とそっくりの状況になってきています.
      皆さんは,この時代の変革期にあります.さてさて,20年後,どのような時代になっているでしょうか.

      なぜ,現在の研究テーマを選んだか

      20年後を予想すること,その予想が正しければ,自分が40歳代になるころの社会基盤を支えられる人間になります.
      研究テーマは,この観点で選んでいます.
      私の研究テーマは,人の筋活動や脳活動を計測し判別できる技術を開発することと,その技術を用いて,人の運動や感覚の機能を補助する機械を作ることです.
      研究領域の名称としては,生体信号処理と知能機械工学です.
      私が研究を始めたころの日本の人口の年齢推計は,20年から40年後に超高齢社会に突入し,高齢化に伴う様々な問題が発生することが予想されていました.
      このような未来像に対して,国として取り組むべき課題は,上記の研究テーマの技術や理論が必要となるであろうことは,容易に想像されました.
      その中から,最も基本であり,重要な領域となる研究テーマとして考えたのが先に述べた,生体信号処理と知能機械工学です.
      この領域の研究は,今では,運動や感覚の機能を補助するだけではなく,失った機能を取り戻すためのリハビリテーションの領域への応用を模索するまでに広がっています.

  • 職を得るとは

      さてさて,皆さんは,どのようにして生きていくのでしょうね.

      O-111大腸菌による食中毒は,汚染された生の肉類を大量に食べると, ひどく体調を壊したり,悪くすると命を落とすことになること, 人は,肉を生のまま食べることに適さないことを教えてくれました.

      はて,どこかおかしいですね.
      自然界の動物は,肉を生のまま食べているんですよね.
      大腸菌に対する耐性を持っているのでしょうね.
      それでは,肉食動物の頂点に位置する, 人類は,生肉を食べられないというのは,おかしな話ですね.
      私はユッケに興味はないので, 生肉に規制が入るかどうかについては,関心はないのですが, 人類が生肉を食べられなくなった経緯については,ちょっと興味があります.

      今日の話は,ここから始まります.また,長くなるかな.

      日本は,世界でも有数の安全な社会です.
      とはいえ,ここ30年ぐらいの話ですけどね.
      我々は,温室のように,温度管理され, 消毒された世界で,30年近くも,無菌生活を送ってきました.
      たしかに,クリーンで快適な環境で生活するというのは, 気分のいい話なのですが,
      その結果,ひどく弱い動物になってしまったというのは, 何とも皮肉な話ですね.
      たまには,熱帯地方にいって,免疫力を強化してきた方がよさそうです.
      もちろん,あまりひどい病気を持ち込もうとすると, 成田で足止めを食らうことになりますので,注意する必要があります.

      また,今年の夏と冬は,電力不足のために, 否が応でも自然の温度と湿度に近い環境で暮らすことを余儀なくされるため, 少しは,強くなれるかもしれませんね.

      さて.人類が生み出した偉大な発明の一つに,価値の等価交換, パチンコの話ではありません.紙幣や硬貨の話です.
      生肉は,自己免疫機能が弱くなった状態ですので,菌類の働きによって, 非常に速いスピードで分解され,土に帰っていきます.
      コメや麦は,乾燥させると休眠状態となり,生命活動を休眠しますので, 肉ほどの速さでは分解されなくなります.
      特殊な場合を除いては,数年の間は,発芽能力を保持し続けます.
      人類は,この休眠する栄養源に目を付け, 肉などのビタミンやたんぱく質などと交換するという文化を生み出しました.
      要するに,食べ物の時定数を,必要に応じて交換可能にしていったのですね
      . この基本概念を応用して,食べ物と労働,建物,その他もろもろ, 価値を等しくするものと交換できる体制, すなわち,金銭による兌換制度を確立してきたのですね.
      このように,時定数を変化させられるようにすると, 良いことは,たくさんありますよね.
      例えば,夏の暑さを半年時定数をずらせば,冬が温かくなるなど, いわゆる,海の効果ですね.
      海の近くが気候が安定しているのはこのためですね.
      海のない月面で生活すると昼間は110度,夜間は-170度, ここで暮らすためには,相当の体力が必要となります.

      職を得るとは,この兌換制度にのっとって, 事故の労働やアイディアを等価交換することを意味します.
      労働やアイディアが時間を超えて,食べ物や快適な生活に替わるのですから, 自分が働けなくなったときにも生きていけるという,いい制度ですね.
      問題は,等価であるかどうかを,自分が決めるところにあります.
      さてさて,皆さんの1時間は,おいくらでしょうね.
      高くつけすぎたら売れないし, 低くしすぎたら,仕事しているのが嫌になりますよね.
      適正な価値を決めるために,資格制度という取り決めが行われており, ある種の資格を持っている人は,統計的にある確度を持って,
      相当程度の仕事ができるであろうからという期待値の下で, 少し高めの時間給が設定されています.
      もちろん,外れも当たりもあります.
      ブランドというも,よく似ています.
      価値を正確に判断する能力を持たない人たちは, ブランドが信用されているという理由で,高い価値を容認しています.
      信用=価値なのですね.これももちろん外れも当たりもありますし, さらに,まがい物までありますね.
      コピー品が非難される理由は,ここですね. 信用を勝ち取るために投資した資金と労働に,全く敬意と対価を払わずに, 無断で乗っかって不当に利益を得るというところが,まずいのですね.
      どのようなことでも,ずるいことをせず,真っ当にやることが大事ですね.

      皆さんが,自分のブランドを確立したり,資格を得たりできれば, 長い時定数の価値を自由に取り扱うことが可能となるわけです.
      職を得るとは,こういうことだと思います.

      さらに,皆さんが企業などに所属して, 生活の糧を得ていくことは,自分の狩場を守る仲間を得ることでもあり, さらに,分業を行うことによって,組織の効率を上げるということです.
      分業を行うと,なぜ,効率が上がるかについては,考えてみてください.
      分業を行うためには,「組織に属する個々」の協力と協調が不可欠であり, そのためには,利益が「公平」に分配される必要があります.
      この「組織に属する」ということと, 「公平」であることも,また,難しい事柄です.
      公理論的正当性をもって言葉で説明することは,とても難しいのですが, おそらく,感覚的には,理解できることだと思います.
      仲間を大切にして,組織として最大の利益を得ていくことが, 職を得ることなのだと思います.

      この後は,蛇足なのですが, 私の価値観について,思うところを書いておきます.

      私は, 特定の自然や動物を過度に保護するような行為を快く思ってはおりません.
      人類が快適に生活するために,有益な動物や植物は保護し, 害を与えるものを排除するという考え方は,
      反って人類の自然への適応能力を削ぎ, 結果として快適な生活を阻害するこうだと考えるからです.
      もちろん,だからと言って, 昆虫や犬,イルカやクジラをむやみに傷つけることを 奨励するものでもありませんし, 過度に生存権を与えることがいいとも思いません.
      基本的には,弱肉強食,存続する意思と力のあるものが 存続し続ける権利を得ることが正しいことだと思っています.
      なので, 利益誘導を目的とした殺虫剤などの開発や企業のシェア獲得競争などは, 人間本来の正しい姿だと思っています.
      企業活動においても,大学の研究室の運営においても,同じことです.
      要するに,人が勝手な基準を作って, 「馬と犬とイルカとクジラは特別で, 牛と豚と鳥は,人の食物になるために生まれてきた・・・」とか,
      「日本古来のタンポポは,短くてかわいいけど, 西洋タンポポは大きくていまいち風情に欠ける」という程度の話を 「外来種の流入によって,自然が破壊される」などと大げさにいうことは,
      自然の摂理に反して,人の勝手なガラパゴスを そこここに作り出そうとしているような行為に見えます.
      問題は,エコや保護などという,一見心地よい言い回しによって, 無償ボランティアを標榜することがペテンで好きになれないのです.
      これに対して,例えば,クジラを保護する仕事によって, 企業利益を得たいということを明示すればよいのです.

      6月3日,今日は,現総理大臣が前総理大臣からペテン師と呼ばれた日です.

      様々な考え方がぶつかり合いながら,利益の再分配が行われています.
      公平性という夢物語を信じて待つのではなく, 自分から獲得競争に参加してほしいと思います.

  • 若さとは,エントロピー,言葉,宇宙

      「若さ」というテーマで,考えてみましょう.

      時間が音を立てて流れていきます.
      最近,私には,その音が聞こえてくるようになりました.
      単なる耳鳴りではありません, 先日,中村君と山岸君が,年齢に応じて聞こえなくなる音というのを iPadのアプリで試してくれましたが,
      IT業界が扱うアプリは,それなりに楽しませてはくれますが, なんとも軽いものが多いですね,それも,時の流れでしょうね.
      これとは関係ありません.

      今日の話は,心理学的な認識論の話です.

      昔は,時の流れという概念が相対的にしかわからなかったのですが, 絶対的にわかるようになってきたこと, すなわち,時代の流れの速さを実感しているというように解釈しています.

      新しくできたものも,5年,10年,20年と時を経ることによって, 古くなり,朽ちていきます.
      目の前で起こる様々な現象,物理化学的な過程は 熱力学第二法則に支配されていると考えられています.
      これは,よく知られているように, エネルギーの移動の方向とエネルギーの質に関する法則ですね.
      エントロピーの概念で語られることの多い法則です.

      量子力学を確立したシュレーディンガーは, 晩年,生物の不思議に興味を持ちました.
      様々な物理化学的な過程の中で,生物に関わる現象は, ちょっと,一般の物理法則とは,異なる現象を呈しているように見えます.
      ここに興味を持ったのですね.
      生物がかかわる現象でも,時間を経るにつれて, 古くなったり朽ちたりするのですが,
      いわゆる野ざらしで,風化していく現象とは, 少し違うように感じませんか?何が違うのでしょうね.
      その答えを,エントロピーの概念に求めたのです.

      物理学的には,否定されていますが, 「生物の過程は,熱力学第二法則に反している」, すなわち,エントロピーは増大しないのではないかと考えたのです.
      風化という現象は, 物質が持っていた秩序や構造が失われていく状態と解釈できます.
      ある構造を持ってるものでも, 様々な相互作用の結果,乱雑になっていく状態ですね.
      この秩序や構造をエントロピーというパラメータで記述してみると, そのエントロピーが増大していくというのが,熱力学第二法則そのものです.
      一方,生物においては,この秩序や構造が保存されているように見える.
      もちろん,ある時間においてだけですけどね.
      その時間が長いので,不思議で面白く見えるのです.
      シュレーディンガーは, 生態系の中でも熱力学的過程が進行しているにもかかわらず, エントロピーが保存されているように見えるということは,
      生物がマイナスのエントロピー, 「ネガエントロピー」を生み出しているのではないかと考えたのです.
      コラーゲン配合の化粧品が,お肌の手入れに欠かせないのは, 心理学的な「ネガエントロピー」が配合されているからかもしれません.
      良質な状態を長持ちさせることは,なかなかたいへんなことですね.

      ちなみに,現実的には, 物理学的に否定される論拠は,その時間が有限なので,
      結局は,熱力学第二法則に従っていることになるし,微視的に見ても, やはり,熱力学第二法則に従っていることになるということです.
      私は,少なくとも,生物がかかわる現象において, エントロピーの増大速度が遅くなっていることについては, とても面白いと思っています.
      遺伝子は,数億年にわたって,その構造を保存しています.

      皆さんも,このエントロピーの概念について考えてみてください.

      大学では,4年間をかけて,論文を書くことについて,学びます.
      論文は,論理的記述法に基づいて, 背景・必要性の記述,理論構築,正当性の証明,有効性の主張を行います.
      正当性の証明のために,実験的検証または,数理論的検証を行います.
      記述するために「言葉」という記号を用います.
      ここでの「言葉」は,世代を超えて意味を伝えることが,その使命です.
      言葉の意味が正しく伝われば, 論文で主張したことは,数百年または数千年の時間を超えて, 意味を伝えることができます.
      意味が長期間保存されるのですね.
      我々人間は,遺伝子に代えて,新しく言葉を生み出したのですね.

      古い話題で申し訳ないのですが, ビートルズのAcross the Universeという曲では, 言葉があふれ,流れていく様子を描いています.
      Words are flowing out like endless rain into a paper cup They slither while they pass they slip away across the Universe.
      Pools of sorrow, waves of joy are drifting through my opened mind Possessing and caressing me.

      いろんな言葉があふれ,いろんな考え方が流れていきます.
      諸行無常の境地ですね.

      時代を席巻した流行も,風刺した言葉も,憧れたアイドルも, すべて変化していきます.
      その時代,正義とされたものも,どんどんと変わっていきます.
      20世紀マルクス主義は,プロレタリアートに光を与え, 労働者の生活を向上させましたが, 得られた安心が共産圏の国家的腐敗という形で崩れていきました.
      資本主義と核の狭間で,高度経済成長を享受し, 最も成功した社会主義国であった日本は, 社会保障費の増大に苦しみ,皆で見て見ぬふりをしています.
      いずれ,デフォールトとなるでしょう.
      世界の警察として正義を謳歌した大国は,ベトナム,湾岸,アフガンと 消費期限切れの武器の利用場所を探し続けています.
      なかなか難しいですね.

      国家的問題は,我々個人の生活に大きな影響を与えますが, 全く別物でありますので,皆さんは,身の回りの状況をよく見て, 上手く立ち回ってもらえることを期待しています.

      さて,世の中に不偏なものは,あるのでしょうか?

      心理学的な認識に関する理解の科学の中に, アフォーダンスという概念があり, その中で,不変項invariantという提言があります.
      J.J.Gibsonの展開した認識論です.
      我々は,多くの情報を視覚的に得ています.
      ギブソンの認識論では,視覚的な認識に基づいて理論が展開されています.
      環境からは,光の配列がアフォード(提供)され, 人は,ある種の特徴的な配列に対して,適当に名前を付けて, 現象の認識と識別を行っていると解釈しています.
      適当な名前が,人の種別を超えて,共通に認識されるとき, これを不変項といって,概念を表す共通記号と考えたのです.
      ちなみに,アフォーダンスについては,Donald Normanの解釈も面白いので, こちらについても勉強してみてください.
      簡単に書きますと,ノーマンのアフォーダンスは,環境が人に語りかける情報, 例えば,上手く設計されたドアは,どのような見え方をすべきか? というものです.
      皆さんが扉を見たときに, 引き戸なのか開き戸なのか,押すのか引くのか, などの動作情報がわからないと, 非常に扱いにくいドアだと感じるでしょう.
      すなわち,良い設計とは,利用者の直感に作用して, 取り扱いの動作情報を自然に与えるような環境情報を アフォードすべきだと論じたのです.

      ギブソンのアフォーダンスに戻りましょう. はて,不変項は,あるのでしょうか?

      赤信号は,止まれ.これは,万国共通のルールになっていますね. しかし,皆さんは,赤を定義できているでしょうか?
      どの程度の赤でしょうか?真っ赤?薄い赤?ほんのり赤い?
      色だけのことであれば,波長を調べれば,定義できますが, 赤いリンゴと青リンゴ,これは,色はどうでもよくて,味,ですよね.
      言葉での表現は,なかなか難しいことです.
      現象を記述する言葉は,ある意味,どうでもよくて, 意味が伝わるかどうかが重要なのです.

      いつの世も,ある種の合意に基づいて概念も言葉も定義されます.
      環境に適応し,真理を再定義して,戦略を練り直す能力, これを適応能力Adaptivityといいます.
      若さとは,時代を理解し,適応していく能力を豊富に備えていくこと, これが大事です.

      私自身の自戒を込めて, 皆さんと言葉の概念を共有していきたいと思っていますので, いろんな現象を表現する言葉について,議論していきましょう.

      少年,老い易く,学,成り難し

      時間の流れを追い越していきたいものです.

  • 「力」の話です

      皆さんは,力というと何を想像するでしょうか?
      物理学でよく出てくるものでは, 電磁力,重力,ファンデルワールス力,核子力,コリオリ力...

      機械工学科で力を扱う学問領域は, 材料力学,流体力学,熱力学,機械力学,(量子力学), いわゆる4力学ですね.
      このように,工学では,当たり前のように使っている「力」の概念は, 現在でもよくわかっていないものの一つなのです.
      これも,前回述べた形而上学のうちの一つ(目に見えないものや手に取って実感 できないもの)なのです.
      理系に学ぶ学生にとって,中学校の1年生の時から6年以上にわたり, 加速度と質量という概念を叩き込まれ,その上に,力が働いているんだ,矢印で 書き表せ...などと,繰り返し教え込まれてきた概念ですよね.
      それをいまさら,よくわからない概念だなどといわれてしまうと, 「えーっ??」となるかもしれませんが,
      実は,よく考えてみると,我々は,力を可視化したり, 実感したりできていないのです.
      今日の話は, このわけのわからない「力」をもっとわからなくしてみようという講座です.

      さて,アイザック・ニュートンが定義した力の概念は, F = M a でしたね.
      これは,質量Mの物体が加速度aで動くときには,力Fが加わっている... と教えられてきました.
      ここで問題となるのが, 質量は,定義されているか?,加速度は,定義されているか?ということです.
      加速度については,他の座標系からの相対値として定義できるのですが,
      残念ながら,質量は, この方程式に力の値を入れないと定義できないようになっているため,
      質量と力の概念は,相補的な関係,あいまいな関係とでも言いましょうか.
      要するによくわかっていないのです.
      ましてや,電磁力や重力,核子力の中での強い相互作用などは, いったい何が力の大元になっているのかなんて,全く手つかずの状況です.
      この基本概念からしてこの状態ですので, 科学の大元がぐらついているようなものです.
      それでも科学者の多くは,何とかして客観的な値を求めようとして, 努力を続けています.
      なので,科学の大元がぐらついているからといって, つまらないオカルト系の勧誘に踊らされることのないように, くれぐれも気を付けてください.
      ぜひ,科学者としてこの課題に取り組んでみてください.

      長い前置きになりましたが, 本日の主題は,そういう物理的な力ではなくて,もっと観念的な力, 人間社会の中だけに存在する力の話です.
      人は,どんな力によって動かされるでしょうね.
      ニュートン力学ならぬ,人間力学がありそうですよね.
      皆さんならどのような方程式で書き表しますか?
      私の人生で経験した様々な力関係は,経済力,法の力,政治力...です.
      もっといろいろとあるでしょうけど,簡単にこの3つから始めましょう.
      これらの力の半順序関係は, おそらく,力関係は,経済力<法の力<政治力でしょうね.
      さて,軍事力はどこに入るでしょう?
      本来は,経済力の下に位置するはずなのですが, 今の日本の現状を考えると,どうにもわからなくなりますね.
      現在の政治力が,想定外に低すぎるので, この半順序関係にも例外規定を設けなければなりません.
      このような例外が現実に存在してしまうと, 話がややこしくなってしまうのですが,
      一般には,武力的な紛争は,経済封鎖によって発生し, 経済的な疲弊によって沈下するので, 経済の下に位置すると考えられます.
      いわゆる金持ちケンカせずということでしょうか.
      皆さんに私が問いかけたいこととしては,現在または未来において, どの力を操ることができるようになりたいと思うかです.
      もちろん,これも解答はありません.それでも, 競争のためには必要なのだと思います.考えてみてください.

      これら3つの力の上?または,全く別の系列の力として, 愛や徳といった力があるのを知っていると思います.
      別の系列と書いたのは,愛や徳では,食べていけないからです.
      これらの力は,競争を意味するものではなく, 協力や保護,導きや安心を意味します.
      もちろん理想論ではありますが, ジョンレノンやマイケルジャクソンが啓蒙したように, これらの力が社会に満ちてくるようになるといいですね.

      ちなみに,蛇足ではありますが, 5月5日は,子どもの日,こいのぼりを飾るのですが,
      うちの家庭のこいのぼりは,緋鯉が上で,真鯉はその下に位置しています.
      家庭生活においては,必ずしも物理的な力や経済的な力が 発言力に及ばないことがあるということを実証しています.
      これも例外の一つです.

  • 哲学をしましょう

      大学生の醍醐味の一つに,「哲学」というものがあります.
      大学の4年間で,学ぶべきすべてのことが「哲学」を出発点としていることを知っておいてください.
      哲学は,自然科学(理系)の学問の原理原則であり,自分はいったい何者なのか,何のために 生きているのかを問い直すことにもつながります.

      〇簡単に言うと,哲学とは,「酒を飲んでだべること」です.
      酒を飲んだ状態は,多くの人が高揚した状態,その時に出てくる言葉は,人間性が出てくるということでしょうね.
      だからといって,飲みすぎると人間性を損なうことがありますので,十分注意してください.

      〇難しく言うと,哲学とは,「形而上学」について考えること.
      形而上学は英語では,metaphysics,対義語に形而下学.
      例えば,精神や物質,数,神,化け物,のような抽象的な概念で代表されるものが「存在」するか?とか,
      または,知性や人間性という「存在」は,物質的な「認識」の体系において定義できるか?
      というような,「存在」と「認識」について考えることです.

      〇関連項目 「正義」「愛」「善悪」「真実」などなど
      要するに,物質的には存在しないが,人が考える過程の中で,あたかも実在するかのごとく出てくる事象の 有無を問いかける,ある意味,不毛な取り組みです.
      が,そういってしまったのでは,身も蓋もありません.言葉の曖昧さについては,また日を改めて.

      哲学は,アリストテレス以来の学問の中心的な課題であり,人が人たる所以,または,知性の根源です.
      基本的に解はありません.問いかけ続けることが本質です.
      この問いかけ続けるという姿勢の中に,ヒトとして生きていく楽しみが存在しますよ.

      以下は,私の意見です.

      ヒトとそれ以外の動物の違いを生物学的,または,遺伝学的に,その答えを求めようとすると,
      明確な差は見えてこないことは,皆さんも知っていますよね.
      一般に,科学は,ヒトと,それ以外の動物との間に差があることを否定します.例えば,ヒトと チンパンジーのDNA塩基配列の違いは,2%以下,(しかしながら,遺伝情報の違いは,80%程度とかなり大きい).
      地動説は,人間は特別な存在という論理の中心であった天動説を基とするすべての宗教の 存在基盤を打ち砕きました.が,それがどれほどの意味があるでしょうか?

      論理的または実験的正当性を持って,誤りを論証したとしても,それとこれとは違うということが人間社会の中には,たくさん存在します.
      例えば,日本家屋の夜中のトイレが怖いとか...誕生日がうれしいとか...
      要するに,理系の人間ですら,神と化け物の世界を信じている場合があるということです.
      これが公平な判断を鈍らせることがありますから,要注意ですね.

      極端な例ですが,人が人を傷つけると犯罪になりますが,牛を食べても犯罪にはなりません,この差はどこから来るのでしょうね.
      ましてや,蚊やハエなどは,殺虫剤で駆除される対象になります.
      イルカやクジラは,特別な存在だったり,犬や馬もある国では特別ですね.
      肉食獣の頂点に位置するヒトという動物が,適当な理由を付けて,行動を正当化している状況にありますので, そこにもっともらしい哲学が必要になるのでしょうね.
      考えると難しい...ですね.

  • なぜ人間は5本指を必要とするか?

      なぜ,5本指なのか?
      さらに、親指だけ対向しているのはなぜか?

      以下の2つの意味があると思います.

      1. 工学的な意味
       〇面圧
        ・同一把持力において,接触点数が多いほど,面圧を下げることができる
        ・豆腐やクラゲのようなものでも把持できる
        ・一つの筋肉を小さくでき,駆動系の分散化,並列化が可能となる
        ・分散化により耐故障性が向上し,並列化により総出力を上げられる
       〇安定把持
        ・親指を含む最低3点以上必要
       〇操り
        ・親指を含む最低4点以上必要
       〇ダイナミックレンジ
        ・小さなものは,2本指,大きなものは4本以上支えると安定する

      2. 生物学的な意味 -進化的には,手指は魚のひれから出発している-
       〇水かき
        ・多くの水をとらえるために,面積と強度が必要であった
        ・水の抵抗を下げるために,正面投影面積を少なくし,細く薄い指が必要
        ・数は,多ければ多いほど良い
       〇捕獲
        ・能率を上げるため,指間の隙間は少なく,しかし,包含体積は大きく
        ・数は,多ければ多いほど良いが,軽くなければならない
       〇陸上生活
        ・ひれの状態では,状態を支えられないので,対抗した親指が必要
       〇制御
        ・指の数が多くなると,多くの神経支配が必要となり,その分,脳も大きくなる
        ・数は,少ないほど良い
       〇冗長性
        ・生物は,失う確率の高い物や,失っては困るものを余分に持つ傾向にある
         しかしながら,心臓が一つである理由はわからない

      これらのことから考えると,指の数Nは,4≦N,冗長性を考慮すると5≦Nとなるのではないでしょうか. ちなみに,日常生活上の理由もあると思います.
      もしも,類人猿の陸上での生活において,それほど指を使う必要がなければ,ウマなどの奇蹄目やブタなど ウシ目のように1本指や3本指,または,ネコなどの肉食目裂脚目の中には,後脚が4本指のものもいます.
      このように,進化の状況によって,指は減ったかもしれません.